スケーリングとフロントロード
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時間というリソースが無限であることを前提とした主張をしている方がおそろしく多い気がする。これは特に若者に多い。諸行無常万物流転の常を肌感で知らない存在はこうなりがち。自分の砂時計を意識できていない。
ガキが!!!テメェみたいなやつの芽を摘んどくんだよ!!!(原)
コミュニケーションをクイズにするな、「作品をクイズにするな」にも応用できないかと考えたが、ミステリーなんか作品をクイズにする行為そのものなので駄目そう。あと根本的なこととして、クイズは面白い。だから様々はクイズにされてしまう。
https://note.com/effort_256/n/n6d052988729a
骨の髄まで冷笑止まらん記事を見つけてしまい横転。ユーザーネームまで完璧かい。
話が逸れるようで逸れないようで逸れるけども、20代以下って基本的にすべて間違ってるんですよ。すべて。しかしその間違った状態であることが唯一の正解なんですよ。言ってることわかります?
永田さんがSlay the Spireの動画でスケーリングとフロントロードという考え方について話していたけど、これとほとんど同じです。若者はほとんどフロントロードしかやってなくて、それはスケーリングの視点から見るとメチャクチャ間違いなんだけど、でも将来のスケーリングに辿り着くためにはフロントロードをしなければいけないんです。
で、いわゆる「社会」の正解ってほとんどスケーリングのことなんです。当たり前といえば当たり前です、社会は大人が回していて世界には大人の方が圧倒的に多いんだから。そういう意味で20代以下のやることなすこと考えることは大人の世界からすると総て頓珍漢で間違いなんです。
ただ、じゃあガキの頃からスケーリングばっかやるのが正解かと云うと絶対に違うわけです。そういう意味で「(大人の世界から)間違った状態であることが唯一の正解」なんです。ここまでがワンセンテンスだ。宜しいか?
この上で、大人はいわば漫画において先の展開を知った人間であり、情報的アドバンテージがある。15歳が人生について語る時、それは全80巻の漫画のうち15巻くらいしか読んでない状態での「考察」である。30歳が語るときは30巻まで読んだ人の、70歳なら70巻まで読んだ人の考察。とうぜん15歳の考察はメチャクチャ間違っている。
一方でじゃあ70歳の考察はすべて優位に正しいかと云うと、そこまで連載追ってたら当然序盤の方の話は抜け落ちていたりするわけで、ごく限られた区間に絞って考えれば序盤しか読んでいない奴の方が正確だったりはする。しかしそれくらいで、基本的には先まで読んだ人間の方が正しい考察をしやすい。
現実世界でも、全巻読んでも頓珍漢な考察する奴もいるし、逆に序盤数巻で本質を見切ったような鋭い考察をする奴もいるが、それは個人差であって、情報アドバンテージという客観リソースの優位が覆るわけではない。だから原則としてはガキはメチャクチャ間違っている。
この時点で権力勾配が発生しているので、大人はガキの頓珍漢な考察を「おお、おお、まだそこね。はいはいはい。そういう時期もあったわ笑」と「流す」のが正解なんです。大人の余裕をもって。ところがこれはガキの視点から見ると往々にして「冷笑」に映るのです。自分の本気をバカにされていると。
しかし大人からすればチョッパーにも会ってない所までしか読んでない奴がワノ国編まで読んでる奴に考察で楯突いているようなもので、聞く耳持つだけ無駄なんです。本気になり得ない。
ガキの語る人生論に目くじらを立ててはいけません。彼らはまだ前頭葉も発達していないのです。彼らは間違うことで成長するのです。
同様に、ガキの語る人生論に耳を傾けてはいけません。彼らはメチャクチャ間違っているので。ガキが撒き散らす哲学は汚染(contamination)です。のちに必ず彼ら自身が撤回する哲学を、生涯の柱のような熱量で触れ込んでくるのです。ガキはおのが行為の一切の責任をとりません。大人が付き合えば一方的に損をします。
そのガキがじゅうぶん大人になった時、まだ同じ哲学を発していられるのなら、その時はじめて本気で向き合ってやりましょう。さもなくば全無視で。
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