それは謎です
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フン、めんどくせー女
めんどくせー空、めんどくせー雲
めんどくせー仕事、めんどくせー人生
────めんどくせー世界。
さまざまに愛想尽かしています。もう別に誰のことも好きじゃないな。
「好きな人がいない」って状態、理解不能だったけど、今まさにそれになっている気がする、およそ人生ではじめて。
好きな人とかいなくないですか?誰がどうなろうと心底どうでもいい。どうせみんな死ぬし。
もちろん、優劣をつけようと思えば可能ですよ。またひとりの人間について何万字もしたためることも可能だろう。しかしそれは、「好き」と形容するにはあまりにも小さな揺らぎなのです。
皆さんにわかるように言い直すならば、たとえば帰り道で近くの民家からカレーの良い匂いがしたとか、雨予報だった日が晴れだったとか、いつもより1本早い電車に乗れたとか、そういったレベルの情緒の変化しか人に対してあてられない。
このいずれも逃したところで膝をついて床を叩くほど苦しむ人はいないだろう。わたしにとって人の死とはその程度のものだ。
「好きな人に長生きして欲しい」とは「明日は晴れて欲しい」と同レベルの祈り。叶うに越したことはないが、叶わなかったら叶わなかったでさして問題ない。それを人は「どうでもいい」と呼ぶのではないのでしょうか?
なんだろうな……。こちらがベットしているものと比較して、向こう側の努力が大きすぎると、なんか嫌なんですよ。
わたしはすべての望みに対して「明日は晴れて欲しい」レベルのチップしか載せていない。にもかかわらず、まるで明日を晴らすことが一世一代の使命かのように応えようとしてくる者がいる。
たとえば適当な活動者に「これこれこうで好きです、応援してます頑張って」的なメッセージを送ったとする。これは「晴れると気持ちいいです、晴れて」と等価だ。しかしこの活動者は此れを楔とし礎とし活動のおおいなる糧とするかもしれない、それならば好しまだ良い、しかしその後ややあって「呪い」に反転したならば?スケールが変わるより属性が反転する方がずっとprobableなのだ。「頑張ってください、応援してます」の声が、「おれには応援してくれているファンがいる。ファンの期待に応えるために、苦しくてもつらくても活動を頑張らねばならんのだ」という焦燥にまで変わっていたら?これは当方としては大変気まずく、心地が悪いではないか。
むろんそれは奴らの課題であってわたしが負うべき責任はないが、そんなちょこざいな理屈より先駆けてわたしの気持ちが心地よくないのだ。「そこまでせんでも……」と思うわけです、全てにおいて。
この低温を誰とも共有できないので、わたしはやがて他者に興味を失くしたのです。
https://www.world-type.com/blocknote/rboards/75669/
天才か?
皆さんの想像力が羨ましい。私には何も浮かびません、もはや。

はえ~
まぁ、うまくレプリケートしたというか、このレベルまで寄せても怒られないならもうなんでもアリじゃないかと思うが。「AFTER SWINGS, MORE RUNS」と「Silencio」とかほぼ同じやん。
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