【2025年12月10日】
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Firefox OSの絵文字、気持ち悪すぎる。なんでこんなに気持ち悪いんでしょう。不協和がすごい。
わたしの日記は「何をしたか」ではなく「何を感じたか」をランダムに書き留めているだけなので、日記という感じがしない上に、何を感じたかを振り返るうえでもあまり適切でない気がする。結局未来の自分にとってここに書かれていることはすべて伝聞であり、真実には成り得ないのではないだろうか……。
書いていることと本当に感じていることには常に乖離がある。たとえ嘘をつこうとしていなくても。振り返った時、額面通りに信じるとその乖離ごと引き受けることになる。
かといって、いつか誰かがしていたように、その乖離を受け取り手側で勝手に稀釈しようとすれば、それは結局受け取り手が新しい乖離を生み出すだけだから意味がない、どころかたいてい悪化する。
カントによれば、人間は絶対に外せない色眼鏡を通してしか世界を見られない。逆翻訳は「自分は眼鏡をかけていない」と思い込もうとする行為だから、まさに批判された純粋理性の挙動だ。
鉛みたいな嘘に変えることなく気持ちを供述できないというのが現実で、それに抗うなら気持ちなど一切記述すべきでないということになる。日記らしく「何をしたか」に終始すればよい。
「何をしたか」の情報も恣意的な選択になることは避けられないだろうが、嘘の気持ちを書き記すよりはマシかもしれない。偽の地図を貼ることは地図が存在しないよりもタチが悪いから。
Akari24、曲だけじゃなくて歌詞も良いということがわかってきた。
愛されたくない訳なくて
困るよもう
全部、壊れてほしい
全部、終わりが見たくて
みんな生きてて良い
そんな世界を創るの
半端なこと、とりあえず
想像して描くそのキャンバス
手を伸ばせ、あの雲に
届かなくても、まだいいじゃんか!
ハッ……アッ!アーツィ!アーツ!アーツェ!アツゥイ! ヒュゥー、アッツ!アツウィー!、アツーウィ!アツー、アツーェ! すいませへぇぇ~ん!アッツ、アツェ!アツェ!アッー、熱いっす!熱いっす!アッツ! 熱いっす!熱いっす!アツェ!アツイ!アツイ!…アツイ!アツイ!アツイ!アー・・・アツイ!
落葉日記が1億日くらいビハインドになっていて皆と乖離している感覚がある。かといって一気に更新しすぎるともったいない気がする。誰も読まないし。冷静に考えるともったいないって何?
いや、エド・シーランに関して同じような言及をした記憶があるよ。
エド・シーランに見る反省として、一気にばーんって曲放出しても聴ききれないっていうか絶対ひとつひとつの視聴密度が下がるんだよな。あぶれるものをあんまり出したくないから小分けにしたい。
目覚ましが鳴っても夢の中
実際毎日更新するということの方が大事な気がする。いろんな意味で。どうせ弾はいつか尽きるだろうし。……といいつつ今のところ尽きる気配がないのがおそろしい。本当にノートを書きまくっている。
オムと出会ってなんと二ヶ月近くが経過している。正直こんなにハマり続けるとは全く予想していなかった。飽き性の極みのぼくが、二ヶ月も同じおもちゃで遊び続けている。まるで飽きる気配なく。
これは、正直、不安です。オムは6月で死ぬ。それまでにすっかり飽きてしまって、オムの死にダメージを受けなくて良くなる算段だった。しかし今の思い入れ具合では、来年の6月、下手をしたらオムの後を追ってしまうかも知れない。
……それもいいかもしれませんね。うん。今は、そう思います。
死んでどうなるとかは関係ない。人は私的に死ねる。それが恩寵だ。
なんという恩寵 人は死ねる
そしてという接続詞だけを残して
谷川俊太郎, そして
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