neo
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今知ったが、じん氏のミク新曲が上がってたらしい。
これは、ちょっとアオハリーだな。GURUとかよりは彼の素直さが出ている気がする。そもそもミクと可不というボーカリストのアオハリネスが違うのかもしれないが。
それにしても今のボーカロイドシーンはプロセカを知らないと何も分からないな。一秒もプレイしたことがないから分からない。ブルアカ一本で精一杯。
今日も一日
日々AIにすべての司法を任せたほうがよいという機運が高まっていく。とてもじゃないが人間に扱える代物じゃない。法治主義って一番AIに向いてると思う。
sasakure United Kingdomって冷静に考えて化け物ですよね。曲数が異常すぎる。音楽界の手塚治虫だろもう。
……と思ったんですが、実際曲録を見てみると意外と150とかそこらなんですね。星野源より少ないことあるか?ナナドラ1,2のサントラ曲とか全然書いてなかったから絶対150より多いと思うけどなあ。
早く最強になりたい。
ミンゴスのIt’s a fine dayとかいう神曲(シェンチュー)。
https://github.com/yxlllc/DDSP-SVC
DDSP-SVCは、パソコンで普及できる無料のAI[ボイスチェンジャー]ソフトの開発を目的とした新しいオープンソースの歌声変換プロジェクトです。
有名な[Diff-SVC]や[SO-VITS-SVC]に比べ、学習や合成に必要なコンピュータのハードウェアが非常に少なく、学習時間を桁違いに短縮することが可能です。
気になるな。RVCより速いんだろうか。
Oh how unfamiliar I have become with music!
音楽をめっきり聞かなくなった。本当に。ASMRしか聴いてない。この話は何度かしているが、音楽の目的が聴覚を利用して快感を得ることならそれに特化したASMRに勝てる訳がないんですよね。だがどういうわけかそれだけでは何かが欠落していく。ASMRは芸術ではない。だが「なぜそう」なのかは分からない。そもそも空気の振動が人を感動させること自体がミステリーだ。人はなぜ音楽で感動するのだろう?こんなシンプルな謎に未だに科学は答えを持たないらしい。まだまだ研究途中で何一つ確かなものはない。生物としての我々のつくりはとうにその答えを持っているはずなのに。そう考えると人の営みなど児戯だなあ。
ポーター・ロビンソンのNurture、本当に音楽の最終到達点という感じがするな。完全に「ゴール」の音をしている。これ以上先のステージはない。音楽というジャンルのエンドロールだと思う。
今後の音楽って、編曲の技術を云々よりは再生器具のクオリティの向上に全振りした方がいいんじゃないだろうか。例えば昔は蓄音機やテープで音楽を聴いていた。今とは比べ物にならないほど音質が低いわけだが、当時は生演奏以外ではほかに聴く術がなかったわけだ。同様に我々の再生技術も未来から見ればきっと稚拙。生演奏とまったく遜色がない音の広がり、重たさ、振動感を再現できる、安価な再生技術を作り出すべき。他ごとに興味なし。
平知盛は、「見るべきほどのことは見つ」と言って海中に身を投じた。私ももう見るべきほどのことは見つって感じでいつ飛び込んでも良い。それは絶望とか諦観ではなくて、もっと清々しい何かなのです。おかわりいただけるだろうか。平知盛も絶望とともに沈んだわけではあるまい。なんていうか、受容なんです。見届けるべきことはもうすべて見届けた。その後は畢竟「蛇足」になる。ピリオドを打つのに丁度いい文節というものがある。そこで死ねることはやはり幸福だと思う。
Redditを見ていたらアンチナタリズムのsubredditが流れてきて、覗いてみるとものの見事に日本の反出生主義者と言動が同一だったので感心してしまった。だいたいお国が違えば同じイデオロギーの信奉者でも立ち振舞いに差異が生まれるものだけど、ここはまったく同じなんですね。
自分はショーペンハウエルに酔いしれてた時期があるので反出生主義には造詣が深い方ではあったが、実際に信仰したことはないかなぁ。色々それについて論説はできるだろうが、結局私が「生まれてこなければよかった」と全く思っていないから、という利己的かつ確実な結論に辿り着くと思う。
よく言ってるんですが、「生まれてきてよかったと思うか」と「今生きていることがよいと思うか」は全く別の話なんですよね。後者を満たすためには前者が必要だけど、前者を満たすために後者は必要ない。今の人生がどれほど苦痛で退屈でも、即時生まれてきたことそのものへの悔いにはならない。少なくとも私は。そういう意味で、私は「今生きていることがよいと思うか」はNO寄りかもしれないが「生まれてきてよかったと思うか」は間違いなくYES。多くの美しいものと出会えた。かけがえのない価値です。
手にする喜びと 失う悲しみ 天秤にかけるのは 馬鹿げたことです
アンチナタリズムは「生まれてきてよかったと思うか」にNOと答える人間でないと辿り着かない場所だと思うので、私にはおそらく無縁のものです。
あれの少し厄介なのは、反出生主義をイデオロギーの一種と考えず「正解」と思っているんですよね。仕組みとしてはThe Final Solusionと全く同じ。それは個人の人生経験に強く裏付けられているので、まぁ、どうしようもないものの一種ではある。
でもそもそも立場がどうしようもなくfragileなのでアンチナタリズムを叩くような行為は「弱い者いじめ」に近しいと思う。反出生主義そのものより、マジョリティがマイノリティを殴る構図の方が私の感覚だとアクい(lilian用語)。ヴィーガン叩きとかも然り。
どうもみんな人間生活にかまかけすぎている。空でも見上げた方がいい。空を美しいと思えなくなった時が終わりです。「この空と海と大自然の美しさのわからんやつは、 生きる値打ちなどない」とBJも言っていた。BJと言ってもミウラじゃない方だがなァーッ!
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