進撃の巨人-130話-感想とか考察
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ミカサが正ヒロインかと思ったらぽっと出の始祖ユミルちゃんがヒロインレース全部持っていったと思ったらまさかのエレヒス大勝利だったでござるの巻。
個人的には一番納得行く。エレンが誰かを異性として好きだとしたらヒストリアだろうなとは思っていた。というか、そう考えるとすべての辻褄がぴったり合うんですよね。進撃の巨人のダイアログってどれも繊密に練られているんだけど、エレンとヒストリアの会話は特に洗練されていて、66話とか一言たりとも無駄がないもんね。
エレミカ派には悪いけどね……。ミカサが嫌いっていうわけじゃ絶対ない。ただそれは「恋愛」ではなく「家族愛」ということ。向ける愛情の深さでいえば多分ミカサ以上のものはないんじゃないだろうか。「エレンにとってのミカサ」像を1話からずっと追っていっても、異性として好きということを示唆しているセリフもシーンも一切なくて、でも家族として深く愛しているというのは現されている。
朴念仁だからジーク兄さんに言われるまで本当になぜミカサが自分にこうまで尽くすのか分からなかったんじゃないだろうか。あの感じだと「アッカーマンの習性のせいじゃないか」っていう話はエレンが最初に切り出したっぽいし。「オレはお前の何だ?」は最終確認だったんだと思う。もしかするとあそこが最後のチャンスだったのかもな……。あそこでミカサがガチ告白してたら世界線変わったのかも知れない。どっちみちエレンがミカサと幸せになるというのはありえんけど。なぜなら「エレンにとってのミカサ(とその他仲間)の幸せ」は「誰よりも長生きしてくれること」で、余命4年もない自分はそれに加わる力も権利もないから。エレンは自分の存在が負担にならないように、自分が死んだ後も幸せに長生きできるように、わざと嫌われるような真似をしたんじゃなかろうか。ややストレートな解釈ですけどねこれは。
対してヒストリアには、エレンは他のどの異性相手よりも素直というか、率直なんですよね。一番忌憚なく話せている相手だと思う。多分エレンにとって、自分の人生でおよそ最もどん底だったであろう「オレがこのまま生きてたらみんなが困るんだ!早くオレを食ってくれ!もう辛いんだよ生きてたって!」あたりの頃の自分を救ってくれたことが本当に嬉しかっただと思う。4年以上経ってもヒストリアの啖呵を一字一句覚えているあたり、よほど感動したんだろう。進撃狂のエレンがガチで心折れたのって後にも先にもあの時だけだからね。ヒストリアの啖呵も今思うとすべてforeshadowingなんだよな。「私は人類の敵だけど、エレンの味方」とか「人類なんか嫌いだ!!巨人に滅ぼされたらいいんだ!」とか。後者は勢い余っただけって言ってたけど、口をついて出た以上心の何処かにそういう思いはあるのだと思う。というよりエレンを守りたくてそのために自分が思いつく限りのことをしたって感じ。
エレンにしても、進撃の意志もあるけど虐殺に行き着いた最大の動機はなんとしてもヒストリアを守りたかったからっぽいんですよね。動機っつーかきっかけだけど。「世界で一番悪い子なんだから」はもうプロポーズでしょ。ただ子供を作る宣言はたぶん途中にまだなんかダイアログがあったんでしょうけどね。意図的にカットされてるっぽいから。エレンの子かもわからんし。ただエレンの子じゃないとしたらどの立場でどういう角度から見てもヒストリアが幸福になる未来がないので、少なくともエレンがそんなこと許さんと思うがなあ。「お前は良くてもオレは違う」とか言うくらいだし。エレンとセクロスならいいのかっていうとそれも微妙だけど。妊娠してること自体が謎い。
ヒストリアを守りたいっていうのは、これはヒストリア個人への想いだけじゃなくて自由と奴隷のイデオロギーの象徴というか、始祖ユミルにしてもそうだけど、世界の都合のために誰かの自由が犠牲になることが堪らなく嫌なんだと思う。
まあ人は物語を見たいように見るので、自分にとって都合のいいようにうつっているんでしょうけどね。バイアスのない人間なんて存在しない。断言できる。どれだけ客観的にあろうとしても絶対に人間の脳はチェリーピッキングをし続ける。俺は作品内のカップリングとかきわめてどうでもいい方なのでニュートラルな立場から見てるつもりだけど、エレミカ以外許さんマンとかはまた別のものが見えてるでしょうし、ヒストリアはユミルと以外結ばれてはならないって人もいるだろうし。後者に関しては妊娠してる時点で絶望だけど。冒頭の話も「エレンが異性として好きなキャラクターが”いるとすれば”」の話で、個人的には誰も居ない可能性が一番高いと思う。その場合ヒストリアは気の置けない友達でしょうね。そんでミカサは家族。104期は仲間。
エレミカで言えばずっと疑問なのが、『少女が見た世界』なんですよね。109話で6話のフラッシュバックがあるわけだけど、あの場面、エレンの表情が明らかに変わってるんです。109話ではただただ本当に怖いんすよ。明らかにそういう風に描かれている。でも6話の時点では、殺してる時は泣きながらだったし、殺害後もそんな風には描かれていない。強盗という「獣」から少女を守りたい少年でしかなかった。でも109話で描かれた「それ」はものすごく不気味で、コマ割りとか光の付け方とか明らかにおかしいんですよ。今までこのシーンは「戦わなければならない」ということを示すために用いられる比較的ポジティブな場面だったのに、ここにきて急にエレンの顔が見えづらく、狂気染みて描かれており、恐ろしさだけが描かれている。で、俺が気になる最ものことは、6話のタイトルは『少女が見た世界』なんですよね。もしアッカーマンの習性が「本来のミカサという人格」を閉じ込めているのだとすれば、『少女が見た世界』とは、「9歳を最後にしてあの山小屋に消えてしまう」直前のミカサが見た光景ってことなんじゃないだろうか。つまり、本来のミカサはただ大人を獣のように刺殺しまくる少年に怯えていたということ。記憶が自分の都合のいいように改変されていたのを、頭痛のフラッシュバックで断片的に思い出してしまった……っていうのが昔してた考察だけど、アッカーマン習性説は否定されてるから多分違うんでしょう。ただアッカーマン習性がウソならますます「頭痛ってナニ?」になるんだよな。これがまだ解消されてないから何かはあるんだと思うけど。ただの持病でしたーなんてオチじゃあないでしょこの漫画に限って。それとアルミンをテーブルに叩きつけた理由もわからなくなる。あんなひどいこと言ったエレンに対して、自分を擁護しようとしてくれた大親友をいきなり押さえつけたりしないでしょ正気なら。ミカサ自身も自分がそんな行動をとったことに驚いてるし。此処らへんが解消されないことにはなんとも……一応ジークが言うには「生存本能が刺激された時にアッカーマンの力が目覚める」という記録はあるらしいし。アッカーマン特有の疾患ではないらしいからミカサ個人の問題ってことになるけど、ただ精神的にショック受けた時に痛むだけだったみたいなオチでも誰も納得しないだろうしどうすんだろうマジで。
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