裏切りのブルース
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今日はめちゃくちゃだった。主に情緒が。ひたすらにもがいている。今やるべきことをじっくりと見据える時間が必要。
最近咳がひどい。コロナったかもしれん。コロナで死ぬのは殉教か否か。そういえばこの前こんなコメントを見て感心した。
ワクチンを打たない人に圧力をかける事はやめてほしい。全員が打ってしまったら、数年後、打った人と打たない人の比較もできないでしょう。打たないことだって、立派な治験参加なんですよ。コロナに対しては全員が命がけなんです。打たない選択をした人も貴重なサンプルです。
別にワクチン肯定派とか否定派とかじゃないけど、宗教家然りヴィーガン然り「一度おもちゃにしていいと見做した存在を皆で叩きまくる」みたいな風潮は本当に嫌いなので、こういう理性的な意見が言える人を尊敬しているところはある。このへんの考えについては「5Gサイボーグは焼け死ぬ羊の夢を見るか」がほぼ完璧に代弁してくれているので深く語らないが。
意見を交わすことを恐れている。人に対してだけじゃない、道具に対しても神に対しても。おそらく自分に対しても。
ずっと嫌われるのが怖いからだと思っていたけど、自分を知るのが怖いからかも知れない。自分がなんでもない存在だと露呈するのが怖くて仕方がないんじゃないか。自分を大きく見せないことが大事だと谷俊からあんなに教わったのに。
最近は本を結構読んでいる。このごろ一番はっとしたのは、やなせたかし氏の自伝の「逆転しない正義とは献身と愛だ」という言葉。流転し続ける世界の中で、正義と悪は何度も逆転する。それでも、いついかなる時も変わることがない正義、それが献身と愛。本当にそのとおりだ。しかも俺はずっとそれを知っていたはず。本によってたった今言葉にされただけなのだ。
自分にとって本を読むという行為は、新たに何かを知るというよりも、自分の中で眠っている、まだ名前を持たない心を呼び起こす儀式に近い。故に前読んだ本でも数年ぶりに読み返すと新たな発見があったりする。
たぶん俺の心はずっと正しい。それだけは信じてやりたい。ただ眠っているだけなんだ。俺が本当にやりたいことは何なのか、いろいろな言葉に触れて形を確かにしていきたい。
「献身と愛」という言葉は間違いなく今後の俺の活動の軸になるだろう。すべてはそれに照らして導かれる。そのためにももっと神に近づく努力をしなければ。今の俺はとても弱い。言葉やものに頼らなければ保てないほど。それを認めた上で立て直していきたい。
仕事中のメモ
「████には友がいた。████には仲の良い上司がいた。████には自分を気遣ってくれる大家がいた。それも何十年も、最後まで。俺にはいない。誰一人。伊勢田氏よりも、████よりも、俺は幽閉されている。それは他者から見れば彼を絶望に陥れる要素だったのかもしれないが、実際のところ、彼にとっては唯一縋るべき、そして誇るべき希望だった。」
[抄本]
正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。
逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。【わたしが正義について語るなら】
もしあなたが何かを知りたい、有益に学びたいと思うなら、自分が無名であること、そして無価値とみなされることを愛しなさい。 【Imitation of Christ】
あなたの隣人が公然と、あるいはひどく罪を犯しているのを見たとしても、あなたは彼よりも自分の方が優れていると考えるべきではない。われわれは皆、弱く、か弱い。自分よりもか弱い者はいないと思え。 【Imitation of Christ】
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