芸術談義
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メモを一部抜粋
・芸術が持つ最も高尚な力とは、人の心を動かす力だ。強烈に動かす力だ。
そして、言語や時代の壁に囚われない絶対的な普遍性だ。この力は芸術にしか無い。
逆に言えば、この力を捨てるならば芸術である必要性がないし芸術ではない。
それほどまでにこの力は凄まじく、今まで色んな人が生涯をかけるに値すると値踏みした力だ。
・つまり僕は、芸術表現において「人間」という存在は作品という波形を乱す「ノイズ」と考えている。
このノイズを可能な限り取り除くこと、いつも作品の裏側に存在せざるを得ない「作者」の存在感を限りなくゼロにする事が表現者の役目だと思う。
作品を消化するのは人間なのだから、作品と作者を完全に別個に考えるなどできはしない。そんな器用な生き物ではない。
だから「作品の質」を最大化するために(僅かでも作る側の人間性によって受け手に不快感を与えないように)、彼らは人間をやめなければならない。
どんなふうに生きているのか、働いているのか、年は、性別は、それらすべて隠し通して言葉のひとかけらさえ発さずに「この作品を作っている存在が人間としてまっとうに生活している姿をまるで想像できない」と思わせるくらいにしないといけない。
むろん、現実にそうでなくともよいのだ。「そうであるように見せていれば」構わない。実際には普通に働いて友達と遊んで飯を食い糞をして愚痴も言っていようが、それが外から一切見えなければよい。
目的はあくまで作品にノイズを取り込まないことである。そういう意味で、「存在」ではなく「存在感」を消せばいいのだ。
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