自己正当化
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知り合いに5年くらい無職だった奴がいるのだけど、ずっと「労働者は古代エジプト奴隷以下の奴隷」とか「働かなきゃ生きていけないから働く選択肢しかない人より働かないという選択をしてる人のほうが幸福」とか言ってたのに、あるとき職を得た途端に「無職ってマジで生きてる価値ないと思うよ」とか平然と言い始めたのでぞっとしたって話をもうしましたよね。
でも、多分これが自然なのだと思う。みんな自分の辛さを正当化できる理由が欲しいんだ。無職は働けない自分の無能さから目を逸らすために社会や労働環境を否定して自分を正当化し、労働者は「働きたくない」という叶わぬ思いを平然と叶えている無職たちが妬ましくて、彼らを社会の害悪とみなし否定することで自分を正当化する。「親の脛をかじり勤労の義務を放棄している無職どもは生きる価値がない」とか、「無職が悪いのではなく無職を生む社会が問題。嘘だらけの就活や平然とブラック企業がのさばる社会の方がおかしい」とか、どっちにも「客観的」らしき理由はあるが、それはひっきょう後付けだ。自分にとって都合がいい方の理由を取ってきているだけだ。そしてそれと反する情報はすべて見えないふりをするか詭弁ということにする。”そういうこと”にでもしなければ、みんな耐えられないのだ
いま無職の人間が職を得れば無職を見下すようになるだろうし、今までさんざん無職を見下してきた労働者もいざ自分がリストラされたら無職になった自分を正当化しはじめるだろう。どこへ立ってもまったく「客観的」にはなれない。どんな立場になっても本能的な自己奉仕バイアスが人の視界を歪める。人は己の欠落を埋めるために、誰かを見下げるのだ。
……それを防ぐための機構が「宗教」なのに、日本はこれの伝染に失敗したから気持ち他国より性格悪めな気がする。というか余裕がない。ことごとくギスギスしている。俺が正しい、俺が正しいと、そう思い込まなければならないほど誰もがやつれている。正しさをなにかに決めてもらった方がずっと楽なのに。聖書ならそれは不変のものだが、日本人はその「正しさ」の規範を「世間」とかいう透明で付和雷同なものに委ねているからずっと不安なままんだよ。と、クリスチャンバイアスのかかった男が申しております。宗教戦争とかある時点でこれもcapなんだ、っていうのに気づかなくなるんですよね。
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