本当に好きなアルバムたち
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1.米津玄師「YANKEE」
このアルバムに触れるまで、俺には「音楽を音楽として聴く」という文化がありませんでした。
そもそも、「音楽」がひとつの趣味として成立するということを知らなかった。他のバンドを一切知らなかった。
せいぜいフラッシュ黄金期にバンプの曲に数点触れたくらいで、後はアニソンとボカロとゲームBGMしか聴いてなかった。
そんな俺を、付随物としてではないありのままの「音楽」に引き入れてくれたのが米津玄師です。
彼の存在は、ハチ時代を含めればだいぶ昔から知ってたし何ならMADとかも作ってたんですが、「米津玄師」を知ったのはゴーゴー幽霊船から。あれにドハマリして、米津玄師の動画一覧を見た時、彼の最新の投稿が『米津玄師 2nd Album「YANKEE」クロスフェード』だった。それを視聴して、オレは「音楽」という世界を知ったんだ。そこからFlowerwallが出るまで8ヶ月くらいあったんですが、そのあいだずっとdioramaとYANKEEを聴き込んでいた。朝も昼も夜も。何千回聴いても飽きることのないその音像の豊かさに私は感動し 震えた そこから俺は古川本舗やヒトリエといった所謂当時のネヅケンスタート組の黄金ルートを辿り、彼のキャスに頻繁に訪れ、インタビューを片っ端からあさり、米津玄師に心酔した。何よりも好きだった歌詞はリビングデッド・ユースの「死球を見逃したアンパイア/どうせ公正じゃないのならば/僕はせめて味方でありたい/信じられないならそれでもいい」。曲としては当時はそこまで好きではなかったが、この歌詞だけは胸に焼き付いて離れなかった。「信じられないならそれでもいい」なんて概念、当時の俺には無かった。蠍の火のはじまりであった。(追記:歌詞間違えてました。まあネヅケンもキャスで自分の歌歌う時とかメチャクチャ間違えてたから多少羽)
なあ、アルミン……お前が教えてくれたから……オレは……外の世界に……
2.まーる「U+(ゆーぷらす)」
2010年以降、俺にとって「この世で一番好きな曲」は一度も変わっていない。誰あろうまーる氏の「ミミック」だ。 彼の存在は俺が歌詞のメッセージ性に偏執する理由といっていい。一言たりとも無駄のない完璧な歌詞。 アニメやゲームの挿入歌といったバックグラウンドのない、言葉だけで涙を流したのはこの曲が初めてだった。 この人のことを米津玄師以前に唯一「音楽家」として信仰していた。そして彼のアルバムを欲したが、俺がアルバムの存在を知ったときには既に通販は終わっており、再販の予定も無いとのことだった。俺は後悔した。悔いと呼ぶにはあまりに重い、身がちぎれるような悔い。何百回クロスフェードを聴いたか分からない。クロスフェードだけでも素敵な音楽たちを、この生涯において永久に喪ってしまったのだ。その事実はその後俺を7年以上にわたって苦しめた。 それが救われたのがあの運命の日。わが人生の実質的な終焉の日であり、同時に地獄が幕を開けた日でもあった。3.sixty-six-eleven「garland」
どういう経路で知ったのかは全く定かではない。しかし、俺はいつかこの動画に出会い、その時、世界の色が変わった。 こんな音楽は俺は知らなかった。「新しいジャンル」なんてものでは括り得ない、そもそも音楽という次元を逸脱した、全く別の「クオリアの塊」のような音像が、水晶のように透明な音像をたずさえて流れ込んでくる。どこか哀しい、遠いおとぎ話のような世界観。まったく知らないはずなのに、どこか懐かしい音たち。不安と安心感が同居した、胎内のような天界のような、不気味で不可思議な甘い夢。此れ以降、俺の中の「有名なもの=良いもの」という概念は音を立てて崩れ去った。 そう。それを崩してくれたのはあなたなのに、なぜ……あなたは…………「こと日本においては評価されたものに価値があるので。評価されていない無名なものは価値がありません。」「こと日本においては評価されたものに価値があるので。評価されていない無名なものは価値がありません。」「こと日本においては評価されたものに価値があるので。評価されていない無名なものは価値がありません。」今までのすべてもこれからのすべても、その一言で砂のように消えていってしまうように感じた。4.Gregory And The Hawk - In Your Dreams
GATHで一番人気のアルバムは「Moenie and Kitchi」なんだけど、俺はこっちの方が好き。
Neither FreerとSweet Winter Helloを聴いて、「こんな風に音楽をやっても良いんだな」と思えた。
何一つ気取らない。何一つ肩肘張らない。何一つ争わない。商業音楽とは戦争だが、これは小さな村で生きている。
音楽とはどうあるべきか。その答えを探して十数年歩き続けてきたが、最後にそれを教えてくれたのはGATHだった。
これが、音楽の在るべき姿だ。探し回って探し回って、ようやく見つけた、俺だけの答えだ。
5.谷川俊太郎+谷川賢作「家族の肖像」
- Family Portrait
- どこへでもいけるよ
- おとうさんのごご
- わたしはだれ?
- あめのひとぼく
- Family Portrait - voice
- おねえちゃんのはつこい
- いもうととリスのぬいぐるみ
- ゆめみるおかあさん
- ときどきおにいちゃんはとおくをみる
- いつもおちゃめなおばあちゃん
- おじいちゃんのおもいで
- さようなら
- Family Portrait - piano
一曲目の「Family Portrait」が流れ込んできた時、俺は戦慄した。これは、もはや音楽ではない。生活そのものだ。
どこかの小さな家族の、つつましやかな日常を閉じ込めた箱だ。1分22秒間のホルンの音だけでそれをわからされた。
ライナーノートには糸井さんという人の商品紹介文が載っている。これがすべてを物語っていると思う。
深夜、ベッドのなかでこのアルバムを聴きはじめたぼくは、ある種のパニックにおちいってしまった。
うれしくて、せつなくて、かわいらしくて、むなしくて、とにもかくにも心が動いて動いて止まらなくなってしまって、
泣きながら起きて、水を飲んで、しばらくしゃくり泣いた。
糸井重里
それは、遠い昔の子どもが大好きなおもちゃやビー玉を詰め込んだ、埃被りの宝石箱のようでもあり、
遠い過去も、遠い未来も、すべてをありのままにおだやかな瞳で見つめている神さまの言葉のようでもある。
それにしても曲目のうつくしさよ。特に「ときどきおにいちゃんはとおくをみる」とか超人的なセンス。
これを見て少しでも惹かれるものがある人は是非聴いて欲しい。
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