日々進化する最強のラッパー-残念はなから格が違った
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線画放棄型塗りの修行中。なるぜはんくり。ロビンは真剣にやってるんだーっ!やっぱ厚塗りは速いっていうか、線画主体と比べて事故率が圧倒的に低い(修正が簡単)なので未完成エンドになりにくくていいね。トータルの成功率が高い。
弟子入りしたい絵師、はんくり、まさちよ、今敏、もののけあたり。はんくりはもののけと違って人格に対して変な憧憬みたいなのがないから却ってリファレンスしやすい感じがある。まさちよさんはとにかくアベレージヒッターというか打つ球全部ホームランみたいな人なんで主に表情の描き方を学びたい。リアルに。今敏は絵柄がドツボなんだけど俺のそれとはかけ離れすぎていて道のりが長い。とりあえず今は心身ともにはんくりフォーカス。燃費を下げたいんですよねとにかく。描く速度の速さもはんくり信仰の一因だし。信仰っていうとおかしいんですけどね。もののけに抱いてるそれとは全く別の、単純に絵描きとしての実力とスタイルへのリスペクトなので。ハングリークリエイターなりて〜。そんでもって徹頭徹尾趣味のみにその力を消費してぇ〜。絵は仕事にするとおしまい。マジで苦痛だと身を以て知ったあの日の未明。好きなゲームは送電塔のミメイ。異例の根底に眠る炎天の闘志が今に覆す時世、進み続けるだけ前を見て、歩み追い越せる者誰もいねぇ!YO!!
二連続ちょっと正気じゃないレベルの雷雨(ふつうに大災害レベル)にさらされながらいじめ撲滅法を考えてたんだけど、やっぱり「いじめられっ子が赦す」っていうのが最強だと思う。「いじめをなくす」と「いじめられっ子を救う」って似て非なるものだと思うんですよね。「いじめられっ子をなくす」は実は前者に統合される。いじめをなくすことにフォーカスを置くなら、いじめられっ子の能動的な行い以外切り口がないんですよね。どうせ北風的な事を何言ってもいじめっ子は行為をやめないので(感覚的にはパチスロとかマスターベーションと同じ)、太陽になるしかない。罪悪感を内から芽生えさせなければ。赦しという行為は実は罪悪感を与えるこれ以上ないアタックでもあるんですよね。本人による「赦し」がinvokeされればそこに強きが弱きを挫く「いじめ」はなくなり、明確に「いじめてる側がフェイク」と言う機運が周囲にも当事者たちにも生まれてくる。いじめ、カッコ悪いっていうけど、子供の感性だとやっぱいじめられっ子の方がかっこ悪いんですよね。でも赦しの精神によってそれは覆せると思う。なんかいい機会があればいいんですけどね。いじめっ子が都合よく川で溺れたりしたらいじめられっ子が命張ってそれを助けるとかできるけど。結局いじめってMCバトルみたいなもんで、発生しているのに周りが見て見ぬ振りをしてると言うことはいじめられっ子がオーディエンス力で負けてんですよ。「いじめられる側にも原因はある」理論とかもあるけど、部分的には正しいと思う。少なからず周りにとってもいじめられておいた方がありがたいような人が標的になりやすい。まぁ、原因はあってもいじめていい理由にはならないんですけど。定型文。こんなんはもう何千回とかわされた矢倉囲い並の定跡なんで、このやりとりを今時本気で再上映してる人はヤバイと思う。それで、オーディエンスで負けてるんだからイケてるワンバース持ってきてカウンターキメて客を湧かせるしかない。それに効果的なのが赦しだと思うんですよね。攻撃仕返してもあんまり効果ないっていうか、「いじめられっ子がキレた時の雰囲気」みたいなのがもうネタ化されているんで。白痴のごとく笑って受け流してりゃ良いんですよ。不条理を悟りへの経験値稼ぎのチャンスだと思えばいい。基本いじめによるダメージは麺タレ麺なので、メンタルへらないコードを適用できたら勝ちな気がする。まあ、ぶっちゃけオーディエンスの質にもよると思う。先生とかまで一丸となっていじめに加担してくるようならもう転校安定すぎる。いじめグループの力が強くて誰も抵抗できないみたいな感じなら、いくらでもやりようあると思う。なんかとりとめもない文になったなあ。俺が本当に言いたかったことが26%くらいしか再現できていない。赦しっていう言葉のイメージが正確に伝わりづらい気がする。許可では断じて無くて、自らへの行為によって相手に掛かる罪を慈愛によって消し去る事なんですよ。今後いじめっ子たちが「人をいじめていた」という事実によって責められることや、あるいは自責する事を防いであげるんです。基本的にいじめっ子のその後の人生は順風満帆で、いじめられっ子は地獄なので、非効率っちゃそうなんすけど。でもこの赦しは同時に「自分は弱く無かった」という証明にも成るので、ウィンウィンでは。であれ。罪って実は相互作用で、背負う人と背負わせる人のつながりによって成り立ってるんですよね。罪って言うと一人が背負っている十字架のようなものだと思うかもしれないけど、実際は人と人の間にかかる鎖のようなもので、罪人だけでなく罪を与えた人、罪が与えられる原因になった人もある側面において其れに拘束されているんです。復讐心とかもその一種。だから「赦し」っていうのは、相手の罪を浄化する事で自分を含むふたりの間にかかっていた鎖の糸を断ち切る事なんです。憎悪と愛は紙一重というけど、それくらいこの鎖による結びつきは強力なので、今後の人生を復讐に取り憑かれたくなければ赦した方がいい。そういえば今思い出したけど、進研ゼミのアニメみたいなので身体中に傷のある子供がいじめられてるけど笑って耐える、むしろ赦すみたいなのがあったな。あれが理想。ちなみに俺は小学2年で女子2名からキツめのいじめを受けて6年近く不登校になった末人生を破壊されたいじめられっ子ガチ勢なんですけど、赦しの精神を得ているので俺をいじめてきた子達を今は恨んでいないし何なら幸福を祈っている。「殺して」という曲でぜんぶ吐き出したのであとはもう綺麗なもんよ。
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