折り合い
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星野源の「ひとりエッジ」という伝説のライブを知っているだろうか。
日本中が絶賛したかの名盤、『SUN』発売の直前に行われたライブだ。
くも膜下出血で倒れ、あの明るい彼が「早く死なせてほしい」と思うほどの激痛に耐えながら必死のリハビリを行った2012年から3年が経った頃の話。「地獄でなぜ悪い」「化物」など、復活した彼が乗りに乗っていた時期である。
「ひとりエッジ」は、その名の通りソロライブである。1対13000人で繰り広げられるわけだ。
登場した星野源を満場の拍手が迎える中、モノトーンなコードと共に彼が吐き出した一言目は「殺してやりたい人はいるけれど」。そう、あろうことか1曲目に「バイト」を持ってきたのである。
このエピソードは、私にとって星野源を崇拝する(していた)理由のうちのひとつとなっている。想像できるだろうか。武道館でのワンマンライブ、一万人以上に360度を取り込まれた一人の男が、会場が盛り上がる中、一曲目に「殺してやりたい人はいるけれど/君だって同じだろ/嘘つくなよ」なんて歌詞からはじまる曲を持ってきたんですよ。
誰もが認めるところだと思うが、「バイト」は完全にマイナーピースだ。シングル曲ではもちろんないし、アルバムの1曲目や2曲目に置かれているわけでもない。最新盤から一枚前のアルバムの6曲目にぽつんと置かれているだけの、2分にも満たない小さな歌だ。それを、記念すべき武道館のセトリ一曲目に持ってきたんだこの男は。
言っちゃ悪いが、常人にできることじゃないですよ。ライブなんて緊張するのが当たり前で、最初の曲なんていうのは会場を温めて自分も雰囲気を掴むために盛り上がる曲や有名な曲を歌うか、アルバムの1曲目みたいな「はじまり」っぽい曲を歌うのが定石であって、こんな所業をしたアーティストは多分後にも先にも居ない。私は、星野源を、「これをやった」というだけで結構高い位置に置いていた(hold him in high esteem)。
星野源は、「変わらないこと」が魅力だと思っていた。たとえ音の色は変わっても、芯にあるものは変わらない。それが、たとえば米津玄師のような自己破壊を愛するメジャーアーティストと一線を画する彼の魅力であると信じていた。
それを表す(自分の中で)有名なエピソードがある。YELLOW DANCERがバク売れして、その後の「恋」が異例の大ヒットを起こして社会現象にまでなった後、彼は音楽番組(2016 FNS歌謡祭 第2夜)に出演した。もちろんそこでは「恋」を歌ったわけだが、彼が最後に「どうしても歌っておきたい」と言って歌った曲がある。それが「くせのうた」だ。
これは星野源の最初のアルバムの1曲目で、ファンにとってはともかく、一般人にとってはとても有名とは言い難い曲だ。これまで音楽番組で披露したことは一度もなかった。それを、人気の絶頂期にあった彼が、地上波の音楽番組で歌ったのだ。語りかけるような瞳で。昔からのファンに「変わってないよ、忘れてないよ」と言うように。
他にも、音作りの雰囲気が大きく変わったYELLOW DANCERでも一曲だけアコースティックギターオンリーの曲を入れたりと、昔からのファンを絶対に見捨てない。「見捨てないぞ」と主張してきた。
しかし今の彼はどうだろう。星野源は、変わってしまった。一言で言えば、薄っぺらくなった。
かつてまとっていた、厭世の果てにある「悟り」に辿り着いたかのような解脱感は消え失せ、あまつさえ今まで日村に個人的に捧げてきたバースデーソングを、その情報を伏せて普通の曲としてMV付きで公開したり、「私」のような密やかであるはずの曲のMVを出したり。「ひとつだけ」も、2019年5月29日のオールナイトニッポンの聴くに堪えない苦言も、以前までの彼なら口が裂けても言わなかったと断言できる。こういうふうに書くと、お前が星野源の何を知っているんだと思う方もいるかもしれないが、他人のことを一番よく知っているのは他人だ。当人が「本当の自分はこうだ」と思っている自分なんて、他人の世界においてはびた一文の影響力も持たない。 ^r79p2t
人に生かされていることを思い出すべきだ。誰かまわりに人がいなければ生きていけない。心象の穴ぼっこを、目の届かないところにあるじめじめした憂いを、「本当の自分」と考えて、「皆自分のことを知らないんだ」なんて嘆くな。あなたのことを知っているのは、あなたじゃない誰かだ。— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) October 17, 2011
同様にして、本人が「自分は変わっていない」と考えていても、他人が「変わってしまった」と思っているのなら、それは変わってしまったのだ。 問題は、「なぜ変わってしまったのか」?なぜ彼のオーラが消え失せてしまったのか?自分の解釈をお話しよう。 彼がとりわけ人気になり始めた頃であり、「地獄でなぜ悪い」など「死や絶望に対する、明るい諦観」の特徴が現れ始めたのは、取りも直さずくも膜下出血で倒れてからの話だ。ここで彼は臨死体験をしており、頭が割れるような激痛の中、病院のベッドで彼が辿り着いた答えは、「生きることは、死ぬよりずっと苦しい。生きるということ自体が、苦痛と苦悩にまみれたけもの道を、強制的に歩く行為なのだ。だから死は、一生懸命に生きた人に与えられるご褒美なんじゃないか」というものだった。「一度ゴールを見た(当人証言)」彼は、このあたりから「底抜けに明るいサウンドに、暗く厭世的な歌詞」を乗せた音楽を作り始めた。そしてそれは確実に世間の心を打ち、彼を日本を代表する人気アーティストに押し上げたわけだ。臨死体験から、此処に至るまでの速度は、爆速と言っていい。劇的に人気になったのだ。 人は、臨死体験を経験すると死生観が大きく変わるという。死に対しておだやかになったり、ものごとの本質を見つめられるようになるのだ。これはいくつかの科学的研究で明らかになっている。これが芸術畑に生きる人には著しい恩恵をもたらすのではないか。つまり、「臨死体験ブースト」なるものが存在するのだ。死の淵を見たことで、星野源の感覚は次のレベルへ到達した。 ところが、あのリハビリの日々から年数が経つにつれ、彼の動きは変わっていった。POP VIRUSの時期、彼は「その翌年にいろんなことがあって、ひと言でいうと苦しかった1年だった。周りの反応がうれしくて、ありがとうと思って楽しく活動している裏側で、どんどん陰の自分が膨らんでいって病んでしまった」と語っている。つまり、時間経過とポピュラリティという病毒が、彼の「臨死体験ブースト」にブレーキをかけていったのだ。どんな経験も、人間は時が経てば忘れてしまう。彼もその摂理からは逃れられなかった。そういうことなんじゃないだろうか。彼はくも膜下出血を二度体験しているが、そこから再発はない。生死の狭間を彷徨ってから8年。彼に巣食っていた死の影が消えていってしまっているのだ。それが彼を常人に変えてしまった。私はそう解釈している。「本当の自分」なんてのは、自分で決めるものではないでしょう。あなたがどれだけ何かを隠していようと、回りの人間は「隠しているあなた」を本当として付き合っている。あなたが思っている「本当の自分」なんてものはどこにもいない。それを認めないのならそれでもいいけど、あなたはずっと独りだよ。— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) October 16, 2011
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