悲しいことは思い出せないこと-それも忘れてしまうこと
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とにかく良さげな山の動画をみてむりやり山籠りの機運を高めています
山、いきたくねぇ~ 一〇四一も1年もせずに脱出したっぽいし、山に定住している創作者がいない
ただインスピレーションを得に山に行く人は多いっぽい 一〇四一もそうだけど、音楽全一のGATHはかなり頻繁に山に行っている 新曲作るときはだいたい山でやってるっぽい
いずれにしても、療養とかリタイア後に行くところであって若人のねぐらではない気がしている ただ「老後」があるなんて誰がわかる?前も言ったけど、六十とかになるまで自分が生きていると信じて疑わない人が信じられない 俺は絶対にもう来年にでも死んでいると思うから今を後悔しないように生きたい そうなると山で一回暮らしておくのはありかもしれないが……
たぶん俺にとって一番問題になるのは、虫と熊でしょうね 虫がだめな時点で論外な気がしてきた 一〇四一はムカデ落下防止のすだれとか作ってたけど俺もそういうことをやっていくんだろうか 熊に関してはエンカウントした時点で死ぬんだが
べつに山に住みたいわけではまったくなく、なりゆきでこうなった ものすごく適応するか、ものすごく苦しくなるかの二択な気がしている 苦しくなったとしても逃げる場所がない
孤独には耐えられると思う それ以外は自信がない 吉良吉影は静かに暮らしたいだけだが山ならそれが叶うかというと夢物語なのかもしれない でも人いきれは何より苦手だし東京に三度ほど行ったことがあるけど過呼吸起こして死んだだけだった でも東京ディズニーランドは人生で一番たのしかったな 千葉やけどねあそこ
最近つらい
たとえば小学校のころ、俺をいじめて不登校に追い込んだ女の子たちは、時折俺のことを思い出して身を案じたり行いを悔いたりするのかというと、多分していない
たとえば堂々とマジコンを持ち込んでいたあいつらが今頃自分は犯罪を犯したのだという罪の意識に駆られながら生きているのかというと、多分していない
そういうふうに忘れて生きていけるはずの罪の芽を、俺はことごとく開花させてしまって、些細な過ちや罪をずっと覚えて生きている ずっとそれに縛られて生きている
始末に悪いのは、俺はそれを受け容れてしまっている 苦しいのに、そうでなければ生きていけないと思っている 忘れることより罪なことはないから むかし知人が「忘れるっていうのはとても罪なことだけど、それができるから人は生きていける」と言っていた 俺はそれができない だから生きていけない
人生に捲土重来など期待していないが、せめて何か救いが欲しい 神と向き合える時間が欲しい ドキュメンタリーで囚人が独居房で祈っていた あの三畳に神は宿っていたと思う
生きていてもいいという実感がほしいのか、生きていたいと思える動機がほしいのかわからない 今俺を支えているのは「生きなければならない」という呪いじみた約束だけ
貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
(ルカ6章20~21節)
もっと神と向き合う時間を増やそう……まずはそれからだ
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