平等と公正
この記事を閲覧するにはアカウントが必要です。
何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。
ピリピ人への手紙 2:3
おっ、そうだな
おっ晴れてんじゃん、洗濯物でも干すか→大雨 4ね
ある思想を抱くこととそれを人に押し付けることって別物みたいに扱われるけど、同じものだと思うんだよなあ だってそれの違いって理性によるストッパーがあるかどうかだけじゃん ケチャップのチューブを弱めにひねるか強めにひねるかの違いでしかない 僅かしか出さなければほとんど元の食材の味は邪魔しないだろうし、ドバドバかければ味はまるっきり変わるだろうけど、どちらも同じケチャップであることは変わりなくて、それがマヨネーズだったり醤油だったりはしないでしょう 理性で歯止めをかけるその自由意志を喝采するっていうならまだわかるけども、だとしても別物ではない 同種のものをどう出力したかの違いだけで心像が抱いているものは同じ その理性と呼ばれるものも実際には自由意志ではないしね
最近イライラしている これ生理?
これが行われるべきだといつも思う でもequityってほぼ間違いなく自然発生しないんですよね なぜならequalityと違い「恵まれている側」にとって主観的な不平等がふりかかるから 恵まれている側はなんとかそれを阻止しようとする 彼らにとってメリットがひとつもないからね あまつさえ箱を2つ持った者を「卑怯」と呼んだりさえする これが嫉みのおそろしい性質だ 生活保護受給者へのスティグマなどもその一例
そして見て分かるんですが、基本的に「恵まれている側=より力を持っている側」なので、彼らが改革を拒むなら永遠にequityは訪れないわけですよ 戦わない限りは 戦わない限りは 大事なことなので二回言いました
「公正」を実現するならば、あえてこういう言い方をするならば、誰かに対して「依怙贔屓」が行われなければならないんですよ 絶対的に埋められない力の差をシステムコールで埋めなければならないから それはもしかすると「不平等」であるかもしれない だが「公正」だ 平等な不公正と、不平等な公正、きみはどちらを望む 公正を望む方であってほしい
多分「平等な公正」は存在しない 平等であるなら公正さを、公正であるなら平等さを捨てることになる ちなみに資本主義は「不平等で不公正」です というか資本主義は格差を「許容」することを前提に成り立っているので 革命起こしてぇ……みんなの命を守ります どうしたらいいんです
なんか数年前のkentzに逆戻りしたみたいな感じがして厭だな 2016年に通ったわこの辺は……じゃあ回顧してるからいいじゃん 思想の逆戻りは藍世界では基本的に正の値をとる
2016~2017年ごろ、このアカウントにはまっていて、なんか哲学書とかいっぱい読んでた ショーペンハウエルがお気に入り 今思えば痛いっちゃ痛いけど、その痛さを喪ってしまうことのほうが「痛い」よ 俺にとっては我々にも 勝つ方法が あるはずです 日々を生きるとか 革命だとか— kentz1 (@kentz1) June 13, 2017
みんな普通になりたいらしい。普通が大衆のことなら、僕の目には過剰労働と監視社会の息苦しさにより疲弊しきった人々の視線と、レールに投げ捨てられた死体のため運行を停止した車内に響く心底憎らしげな舌打ちしか聴こえない。なんだか中学二年生のようだ。よいぞ。もっといけ。子供じみていけ。ガキっぽい気持ちは有限で、大人になるまで保てる人はそうはいない。これを捨てずに抱え落ちしたやつだけが功利主義に勝つ。
https://resurrection237.blog.fc2.com/blog-entry-386.html
よく言った吉井君
kbb放送してなくない?WOW WOW もう一ヶ月以上ですよ……こんなこと今まであっただろうか と思って放送履歴見たけどやっぱり一ヶ月「以上」開いてるのは1年前が最後 奇しくもそれも大体4月ごろのこと この時期忙しいんかな 寂しいよ……
なんでこんなにマーシャル(martial)になってきたんだろうと思って原因を考えてみたけど「復職した」「進撃の最終回が読者の反応含め最悪だった」「職場で『うっせぇわ』が流れまくっている」などがあると思われます 絶対能動的に聴かないような曲ばっかりを無限に聴かされているせいで洗脳されてきた 「何回聞かせるんだそのメモリー」の所好き 正しさとは、愚かさとは、それが何か見せつけてやりたいね、確かに こんな曲がウケるならやっぱ割と現代の若者って革命資質高めじゃないですか?機さえあればいつでも爆発できそう、それこそ学生運動みたいに 臆病だがタンクに燃料は充分あると思う オズのライオンのような状態 いつでもみんな奇跡を待つだろう
中世の政治体制なんて今の時代から見れば倫理も道徳もあったもんじゃないけど、それは数百年後の未来から見た2021年も同じことなんですよっていうメモリーを何回も聞かせているよね俺 正義はすべて歴史からの結果論で決まるので、時間をx軸としたとき、道徳も正しさもすべて右側にいけばいくほど絶対的に正しいものとなり、未来から見た過去である我々は未来視点からはクソ中世バーバリアン軍団なんですよね バーバリアンが考える正しさとか道徳なんて信じちゃいけないよ ただ「革命」カードだけはタイムラインによる道徳モンスーンの影響を受けない特殊スキルがある ミラリスのルシアみたいな コイツと「テロリズム」カードだけはいつでもx軸を破壊できる Normを破壊できる唯一の槍 ヤリリ
始祖ユミルがカール・フリッツを愛していたの、フリッツ王がデカチンだったからみたいな説がRedditで流行っててワロタ 何がすごいって、それが一番納得のいく理由だから 「This makes much more sense than just loving your torturer.(自分を拷問してきた奴をただ愛すよりよほど筋が通っている理由だ)」ってコメントでわろた まあ個人的にはユミルが王を愛していたってパートはそんなに納得いかないことじゃないんですけど 最終回の要素の中では比較的って意味だけど dickmatizeって動詞を覚えた 俺は多分dickmatizedされています それは故郷を焼かれ親も殺され舌を抜かれても揺るがないほどに強力なのだ……
train of thoughtをガタンゴトンさせてる間に分かってきたけど、やっぱり俺はここにはいられないのだと思う たとえ労働が苦でなくても、この国の国民性そのものが毒なのだと思う とてもずっといられない GoTのやAoTのpetitionが正義であったり国家権力である国軍と命をかけて戦う市民がいるような世界でなければ
進撃の巨人の日本における絶賛感想を読んでいると、「忖度はまっぴら!!」という気持ちが膨らんでストレスが溜まるので、アメリカの人々の正直な忖度なしの感想を読むと凄くストレスが解消されてありがたい。こういうのはネットの良いところだね— kemofure (@kemohure) April 10, 2021
「声を上げること」に関してのナイーブさやタブー化が強い風土って結構ヤベーんじゃないのかなっていう日頃の思いもあります。我慢すること、ありのままを受け入れること、だけが善ではない。むしろ、カジュアルに声を上げていくってことは、すごく重要なことなんじゃないのかなって思います— アオミドリ (@green_blue_gb) April 10, 2021
Me irl まさか日頃目の敵にしてきた反イェーガー派(ハンジ派?)たちに一番同調できる時代が来るとは思わなかったよね…… 俺もイェーガー過激派だけど別に虐殺を肯定しているわけではまったくない し、俺は「作中でただの一度も虐殺が”肯定”されることはなかった」からこそエレン・イェーガーを信仰できたしイェーガー派でいられたんですよ この辺前散々語ったからもう話さんけど 結局あの最終回はハンジさんもイェーガー派も全員を不幸にしたようだ 喜べるのは「進撃の巨人」というコンテンツが道半ばで消滅していても一週間もすれば忘れて平然と生きていけるようなライト層だけだろう ミュージシャンの後追い自殺とかよくあるけど、知人でも家族でもない人間の自殺に対して後を追って死ねるほどに愛していた・あるいは「依存していた」者にとって芸術とはもはや娯楽ではなく命をつなぐ糸なんですよ そこまで入れ込んでしまった人にとっては作品のフィナーレっていうのは死活問題だろう ライト層みたいに他に命を悦ばせられるものがいくらでもあって進撃の巨人ひとつ吹き飛んだ所で大した痛手じゃない人らとはワケが違うんだよ!!!!!!!!ってまあ怒ってみてますけど実は言うほど怒ってない最近は 作品そのものに対してはね 苛立たしいのはむしろ読者共の方で……これほどまでに自由讃歌の作品を読んでいながらまだ弾圧しようというのか、自由のために戦うことを 人を、殺します!(みちお) つらいよ~ おれってどうしたらいいですか??私も作品っていうのはそういうものだと思います。作者と読者の関係って、教祖と信者みたいな有り様だけが正解じゃないはずです。一方的に恵んでもらって、それを感謝するっていう上下関係がすべてじゃない。文句言っていいし、署名集めていいし、受け入れなくたっていい。— アオミドリ (@green_blue_gb) April 10, 2021
Comments ( 0 )
No comments yet.