呪いについて
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「マルチな才能」に惹かれる人は多い。昨今、絵も描ける曲も作れるなんて人は山ほどいる。
+でゲームが作れたり頭が良かったり楽器が弾けたり小説が書けたり、まぁいろいろ創作というのはあるだろうが、
これについて前々から言いたかった事があるので日記ついでに記す。
おれも昔はそういうものに惹かれて色々手を出していたが、最近ではそういう感情はなくなった。
結論から言うと、「色んなジャンルで創作活動が出来る」というのは何一ついいことはない。
何ひとつ、というと流石に誇張だが、百害あって二、三利ほどしかないと思っていい。
おれが色んなジャンルで創作が出来るのかといえば微妙なところだが、少なくともおれは数年前からそう感じるようになった。
それにこれから語ることは技術力の有無は殆ど関係なく、「創作に足を踏み入れた人間に降りかかる呪い」の話だ。
若干話は逸れるが、「何事も上手くなればなるほど楽しい」というのは完全なまやかしである。
おれは七年前くらいに見るに耐えない絵を誇らしげに恥知らずにあげまくってた頃のが一番楽しかった。
技術力と幸福度はまったく比例しない。幸福度と成長力は関係するかもしれん。
まず、複数のジャンルで創作が出来ることのなけなしの利点を書いていく。
・モチベーションが尽きない
例えば絵のみを表現の手段にしている人は、絵のモチベーションが尽きてしまったら他に創作する術を持たない。諦めてゲームをするなり猫を撫でるなり焼肉を貪るなりしてモチベーションの回復に努める必要がある。
しかし複数の表現手段を持っている人間は、片方が尽きると大体片方が上がってくれるので「創作活動」という括りで見れば半永久的に活動が可能になる。
絵のモチベーションが尽きたら曲を作る、曲のモチベーションが尽きたら絵を描く…といったふうに。
これが利点かどうかは正直人によるだろうが、常に何かしら表現をしていないと死んでしまうような人種は割といる。そういう人にとっては有り難いだろう。
・合わせ技が出来る
どんな創作も大体関わりあっている部分がある。これをうまく活用すると、好きな曲のイメージイラストを描いたり、逆に好きな作品のイメージソングを作ったりが出来る。音楽に関しては自分で楽曲のイラストを描くことができるし、動画編集技術があればミュージックビデオも作れる。
ゲームも作れる人はBGM・絵共に自作できる。これは実は結構でかくて、この技術がない人はゲームで使うキャラクターイラストや音楽を他人に委ねなければならない。直接自分のイメージ像を伝えて作ってもらうのでも齟齬が生まれるだろうが、ゲームを作る人は(フリーゲームなら)BGMも絵もだいたいフリー素材から取ってくるので余計に脳にある像の再現率が下がる。
つまり、表現の統一が出来る。誰かに委ねるとどうしても自分のイメージと食い違う。自ら生み出せればそれを無くせる。
・交友が広くなる
これは自分にとってはほぼ何の利点でも無いのだが、創作をコミュニケーションの手段として捉えている人にとってはありがたいかもしれない。色々なジャンルに手を出すということは、話が通じる相手が増えるということだ。絵師、音屋、物書き、MAD作者、ツクラーウディラープログラマー色々あるだろうが、どんな世界でも人脈が広ければそこそこ得をする。
割と文量あったが、これはあくまで「なけなし」である。
これだけの利点が塵と化すほどのデメリットというのをこれから説明しよう。
・ひとつひとつのジャンルの成長速度が遅くなる
これはどんな人間も逃れられない。如何なる天才であろうが、一つに集中するより成長速度は落ちる。
例えば2つの創作ジャンルを受け持っていて、それらに均等に「努力」を注ぐとすると、
一つの創作ジャンルに打ち込むより1/2も成長速度が落ちる事になる。これは完全に単純計算だが。
結果、どれも中途半端になって誰にも評価されないという所に落ち着いた人が何人いただろうか。
3つ以上となるとさらに酷い。最も、ここまでいくと均等に努力するのは不可能だろうが。
また、成長すれば視えるものは増えるがそれはむしろ目が肥えたと表現すべきで、
例えば絵を始めるまでは超絶上手いと思っていた他人の絵が、自らの画力が上がれば上がるほど粗が見えるようになる。
作品を正面から楽しめなくなる。こういう呪いもある。
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