君だけの歌
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髭男「どうかしてる!どうかしてる!!」
米津玄師「どうかしてる!どうかしてる!!」
髭男「どうかしちゃってるんじゃない?おかしな世界さ」
米津玄師「どうしちゃったのみんな?まともじゃないよ あなた方」
なんやこいつら……。ポップシーンこわれる。いいぞもっとやれ(適当) よほど粛々と狂ってきているらしいねこの世界は。アナーキズムが少しずつ人々に染み込んでいくなら果てに待つのは争いのみだろう……まぁわたしは駘蕩としてその様子を見物するつもりですがね。しかし今に革命の火花が上がるだろうという予感はしている。汚い大人の無道に晒され続けた所謂Z世代に早く全部破壊してほしい。彼らに足りないのは爆薬ではなくそれに着火する勇気だけでありまして……。日本人は奥ゆかしいというが、良くも悪くも「周りに逆らえない」性質が尋常ではないというだけなので、暴動&鹵獲がデフォルトみたいな空気になったら普通にみんなやりまくると思う。火付け役の革命家が待たれる。実際、火薬庫には不平不満という名のダイナマイトがたんまりあるんだから、どこかで爆発させないことにはしょうがないと思うがね。あれが湿気ってしまうと縊死体か電車遅延が生まれるだけだから。そんな風になるくらいならちゃんと爆発したほうが良い。そういう意味で、最近の妙な治安の悪さというか無敵の人大量発生イベントみたいな情勢はよろしいと思う。よろしいというと露悪的すぎるが、少なくとも「誰の迷惑にもならず首を吊る」よりはよほどよい。完全に持論だけど、「誰にも迷惑をかけずに独りで死ぬこと」が何かと比較して「善い答え」になることは絶対にあってはならないと思う。それを「正義」にしてはいけない。自殺とは社会による殺人でありますので、そいつがface no consequencesを続けるのは我慢ならない。今起こっていることは必然なんだ。「うっせぇわ」も「Anarchy」も「POP SONG」も東京なんちゃらズも、ひとつひとつは小さなフィクションであってもそれが多大な共感を得るに至ったのには今の世において誰の心にも「みんなどうかしてる」という気持ちがあるからだと思う。「無敵の人」を社会のバグだと形容した人があるが、かなりうまい表現で、ひとつひとつの反乱は誰が招いたかって社会が招いたとしか言いようがない。アナーキズムはひとりでに生まれない。はやく報いてほしい。ところで「報いる」って不思議な言葉ですよね。この形だと「仕返しをする」という意味になるのに、「報われる」は「仕返しをされる」という意味を持てないらしい、辞書によると。同じ動詞が受動態になるだけで本質が変わってしまうのだからおかしな話。
曲について語るならば、ネヅケンはやっぱりファイティングスピリットというか、どこまで登り詰めてもずっと阿らないのがすごいと思う。割とずっと綱渡りよね、ヨネの音楽は。ノーマルな曲がまず来ない。毎度なんらかの形で不意を打ち続けるというか、居心地の良い場所に落ち着こうとしない。それは彼が認めた「自分は常に変わり続けなければならない」という偏執から来るものなのだと思うけど、それはポップシーンでやるにはなかなか難易度の高い道で、ずっとそれをやり続けられる精神力だけはずっと認めている。信仰の内容は真逆だけど、進む道に迷いのない人間はなんであれ観ていて小気味良いものだ。もっともそういうのは一様にして当人に選択肢などないものだけど。「やめろ」と言われてやめられるものではないだろう。
西村賢太が死んだのかなりショックだ。もっとおもしろい世界になるはずだったのに……。本人としては本望かもな、でも……こういう終わりは。アルビレオの「半生の書」みたいな形で人の一生を標本化するとしたら、西村賢太はけっこう完璧な部類じゃないかと思う。物語として面白い人生を歩んでいる人を善悪問わずとくに気に入る傾向にある。まあ、人の一生なんてのは真面目に見れば誰のものであれ面白いものなんだけども、なにせ中々フル尺で標本化できないからね。有名人でもないと書き起こされないまま消えていくから。それが本当にもったいないと思う。他人の人生ほど面白い読み物はないのに。ここでいう面白いとはもちろんfunnyじゃなくintriguingということね。トルストイ理論でいくと不幸な人間の方が面白い傾向にはあるが。確かに成功者の人生って意外とつまらない。ネヅケンの一生とか聞いても全然おもしろくないよ。
Codecks、かなりマイナーなサービスっぽいけど個人的には結構使いやすい。ウディコンのやつもあわせてこっちで管理するか。公開するのはトカレフだけにしとくけど。マイルストーンが見えるとやっぱり緊張感があるね。意識低い系なのでアジャイル開発がどうとか何も知らんけど。まぁ気長にやりますわ……。気長というのもなかなか毒だがねしかし。いくら好きなシリーズでも更新期間が不定かつ半年に一度あるかないか、みたいなものだと流石に飽きるからな。ただ、それでもnヶ月に一回くらいは律儀に更新がないか覗きに行くものじゃないか?え?そういう存在でもいい気がしているんですよ俺は。いずれにせよ労働者の身としては仕事以外のケツなど持ちたくない所。復職して一年近く経つけど、やはり仕事があると悪い意味でcreative juiceが淀む。弛緩する。だって「やらなくてもいい」んだもん。やらなくてもいいことをやるには何が必要かというと「暇」が必要で、労働は暇を奪っていく。働いていない時間もそれは「自由時間」ではなく「次の労働までの休息時間」として充てられるからだ。まぁでも……言わずもがな何十年も働くつもりはさらさらないし、ほどほどのところで切り上げるつもりだけど、そのときまでに創作の泉が枯れていないかはわからない。まあ、枯れていたら枯れていたでその時はその時よ。しょうがないんすよそのときはもう。未来は誰にもわからないんだから。ホームズさんも、カイジも、「大事なのは俺が俺を信じるということ、それだけ」と言っている。とどのつまりそれに集約されるのだ。「世界」とは「自分」なのだから、世界に存在するすべては「自分」を介してつながることになる。だとするならば、何を信じるにもまず自分を信じなければ。自分を信じられるのなら、「自分が信じる○○を信じる」の数珠つなぎでなんだって信じられるのだ。逆もまた然り……。俺だけは最後まで俺の味方でいなければ。そして、お前だけは最後までお前の味方でいなければ。
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