フレグランス
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「科学は失墜した。信じたいものを信じるしかない。」とだけ書かれたメモを見つけた。自由意志について調べてたときか、糖質制限について調べていたときかのどっちかのメモだと思う。
自由意志に関しては、脳科学的にはもう殆ど無いものとして進んでいて、因果律決定論から逃れるために量子力学に逃げても神の采配がサイコロになるだけでどちらにせよリモコンは出現せず、もし自由意志の不在が完璧に証明された時、責任の概念を前提とする刑法学が崩壊するのを恐れてそれが隠されるようなことがあれば——つまり、科学で正しいと証明されたことを、人間の理のために正しくないとするならば——その瞬間科学はひとつの宗教と化すよねっていう話だったと思う。前提に前提を重ねた話なんでただの思考遊びですけど。
糖質制限に関しては、インターネットにあふれる情報は「糖質制限しなければキケン」と「糖質制限はキケン」の二つがあって、そのどちらにも多くの論文がありある程度名のある医師が主張していたりするので、どちらを信じるかのゲームでしかないなと思ったことがあった。個人的には、糖質制限派はなんかあまりにも過激というかそれに疑問を持つ者へのバッシングがすさまじいのでカルト宗教みたいだなって思った。ある程度勢力のあるアニメオタクも大体こんな感じ。けもフレとかね。こと健康の分野に関しては、実は多数決はあまり意味を成さなくて、時間だけが答えを教えてくれる。百年後、糖質制限派が大量の糖尿病患者の屍の上で笑うか、栄養失調を起こした彼らの墓の前でフツーの食事を取っていた人々が笑うか、どっちかです。健康に関してはマジで科学は今現在でもあんまり正確ではない。正しいと信じられてきたことが数年であっさり覆るというのはザラで、どんな行為にもメリット・デメリットがある。何より、ジャンルの網がHuman being全員に降りかかる性質上、過激な論法が経済的に一番得をしやすい分野。どちらにしても極端になりすぎるんですよね。糖質は惡魔か、神か。個人の健康状態によるとしか言えない。シンプルな話で、糖質が足りてない人にとっては救いだし、糖尿病患者にとっては避けるべきもの。それだけ。一般論として言うなら、昭和時代の人々がアホほど米を食いまくって今高齢化問題になるほど長生きしているので、過去の人々と同じくらいの運動量を保てば制限は不要なんじゃないかと思っています。私は時間を信じることにしている。
人は世界を見たいように見、信じたいように信じる。自らに強烈なバイアスがかかっていることを自覚していなければ。自覚のない人っていうのは大量にいて、そういうのはカルト宗教信者と変わらぬように見える。むしろカルト宗教ならまだましなんだけど、彼らは「科学」に立脚しているつもりだからちょっとたちが悪い。カルト宗教の場合は「我々にとって正しいもの」なんだけど、科学に立脚してるつもりの人は「全員にとって正しいもの」に座っているつもりなので話が通じにくい。常に自分が「間違っている側」なのではないかという疑念を抱き続けることが大事だと思う。なのでこの記事もたぶん嘘や間違いまみれなんですけど、それを理解した上で書いてるのと疑問を持たずに書くのでは違うわけで。俺の「信じる」っていうのは、To take it as a factじゃなくて、To believe that one day it will pay off for meって感じです。事実と信じるかではなくて、進む道を選択するんだ。
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