ディミヌエンド
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この記事が投稿されている頃には、私はもうインターネットにいないことでしょうーー。
まぁ、例によって予約投稿なんですけど、ちょっと色々と話させて欲しい。
終焉
「まーたいつもの死ぬ死ぬ詐欺か」と思うたか、おまいら。(古スペル)しかしContrary to popular belief、このブログを更新するのは正真正銘今回が最後です。もう二度と動かないおじいさんのブログになります。思えば長かった。8年間ご愛読ありがとうございました。そしてありがとうFC2。 ブログの記事はオールグリーンされているけど、これは俺の過去生保全主義とは反しない、なぜなら"俺"は全記事サルベージ済みだから。そして、お前らからしてもインターネットアーカイブとかいうデジタルタトゥーを使えばいつでも見れるから。どっかの酔狂が確か2019年頃に全記事アーカイブ取ってたから8割型は見れるでしょう多分。知らんけど。 そして、最後なので洗いざらい話すけど、俺があれほどまでに落ち込んでいたのは、要するに色恋沙汰です。藍も人の子だよ本当に。太宰とアドルフのキメラだわ。もこう先生のタフさがよく分かる。死にたくなりますよ、ああいうことあったら本当は。具体的に何が起きたとかはもう書かんけど。色恋の存在を8年間隠し通した俺を称えて欲しいむしろ。 で、なんで辞めるかって言ったら、まぁ……いまさら言うまでもないでしょう。ずっと辞めたがってたし。なんなら5年前くらいからずっとやめたかった。nocuousすぎた、この環境が。内も外も呪詛が多すぎる。フィルターバブルとかエコーチェンバーという言葉がありますけど、ああいうのは本当にそうで、呪詛も祝福も自分が望むように引き寄せられていくんです。そして人に自由意志がない以上、その「望み」を形作るのもまた環境であって、呪詛の秣に囲まれた者は呪詛を、祝福の藁葺の下にいる者は祝福を望むようになるというディザイア・ウロボロスが発生している。 おまえたちが呪詛ばかりを目にするのは、おまえたちがそう望んでいるからで、それは誰が悪いということではないのだけど、断ち切るなら「汚れていて居心地の良い」その黴臭い地下室からは抜け出さなければならない。 なぜ猫も杓子もこんなことになったのか。という問いの答えは或る人のおかげでおおよそわかっていて、とどのつまりすべては「寂しい」という感情に帰結するのです。みんな、寂しいんだよ。それだけがすべてだ。誰も実はずっと寂しいだろ。だからここにいる。性懲りもなく……。言葉も肌の色も違う人間が、唯一オムニにつながれるのが「寂しい」という気持ちだと思う。二十億光年の孤独とはよくいったもので、奇妙な話だけど、きっと我々は「寂しさ」によって何より強くつながれているのだ。 それで言うと、最近はジュブナイルが愛しく思えている。ジュブナイルはずっと俺の敵だったが、同時に俺の唯一の味方でもあったのだ。俺は俺のみにくさを受け止めてやりたい。誇り高き少年少女よ……。大人のマクロな価値観では取るに足らない試練でも、視野狭窄な少年少女にとっては世界を取り囲む何もかもが強大な壁だろう。それだけで死に追いやられるほどの。しかし少年少女よ、くじけるな。きみらは一人残らず国の宝であり星なのだから。挫けそうなときはamazarashiでも聴いてろ。あんなに少年少女に寄り添ってくれる大人いねぇから。あんなにお前らのこと想ってくれてる先輩!!!!!!!他絶対おれへんからな!!!!!!!!!(https://youtu.be/ETVGBC3xbro?t=822) とにかく、キッズの皆さんにはジュブナイルを棒に振らないようにして欲しい。ボーナスタイムなんですよ少年少女っていうのは。何やってもいい。やりたいことをやれ。……「やりたいことをやれ」が一番難しいと、そろそろわかる頃カナ?(^^;)「やりたいこと」がある人間なんてそうそういないんですよ実際の所。だから誰が何度Be who you areとかMake your dreams come trueとか叫んでも、憂き身を窶して成し遂げたい「何か」とやらが見つかってないから現代人は彷徨っているわけで。「何」を成したいかは決まっていないが、「何か」は成さなければならない、何かを成し遂げたい……そんなふうに思っているんじゃありませんか?皆さん。落とし込んでいくと、それは「何かを遺したい」という想いそのものだ。この世界に、生きた証を遺したい。それほどまでに、「寂しい」んですよ人は。その火を消してはいけない。それは君の魂だ。何者になるとしても、何を成すにしても、はじめに灯ったその火を抱いたままでなくちゃ駄目だ。let me quote this one last time.貧乏な主人公がただの拝金主義になってハッピーエンドとかとても頭にくるんです。
根暗でオタクな主人公が体育会系スクールカーストの頂点に立ってハッピーエンドとか、馬鹿馬鹿しいと思うんです。
自分のコンプレックスを抱えたまま自己実現する、というのが本当の意味でのハッピーエンドだと思います。
https://www.amazarashi.com/messagebottle/
今後
いま多分Twitterは動いているのだと思うけど、あれも全部予約投稿です。もうホンマに嫌になって、かなり先の日付まで予約投稿で埋めてきたから、まあ今俺が本当に死んでるかどうかは知らないが、仮におっちんでいたとしても投稿はしばらく続くでしょう。 実際俺が死ぬかどうかは、「死」の定義による。極端な話、俺が死んだかどうかなんて皆さんにはわかりゃしないんですよ。"彼"にしてもそうだけど、インターネットから一生ghostingすれば、観測者どもからすれば俺は死んでいるわけで。ヤ・ジュウとかもそれに類するか。死というよりシュレディンガーるのだけど。俺が此れより行うのは恐らくそういうことです。死ぬかは知らないが、このブログはもう二度と動かない。それだけが確か。 トカレフ、アルバム、ネブタレムたちに関しては……敢えて言おう。知ったことではないと。実を言うと、それらの作品に対する要望というか周囲の期待の声みたいなのは以前より上がっているのです。特にトカレフはなんか海外勢にじわじわ見つかってる。つまりそこは問題ではなくて、それを受けて猶も俺は「知ったことではない」と宣言するのです。誰も期待してなかろうが、あるいは全人類が期待してようが、同じこと。俺がやると決めてやるしかないのだから。できない約束はもうしません。気長に待つか、捨てろとしか。ハンターハンターだっておもしろいけど流石にもう期待してないでしょ誰も。時は金なり。 できる限り客観的な意見を述べるなら、もし死んでなかったらアルバムに関してはほぼ間違いなく出ると思う。少なくとも下書きとしてはすでに30曲以上できてるし。歌詞まであるのが13曲くらい?歌入れとか諸々含めて完全に完成してるのが2曲。 トカレフは微妙。一応マイルストーン通りに進んではいるけど、いつ出るかは全くわからない。ただウディコン用のはもう99%型完成して第三者によるデバッグまで終わってるので間違いなく出る。そんな所。ただ、もう何も約束はしない。それで失望されたり後援者を喪うことを俺はもうおそれない。自分を大きく見せてもしょうがない。 実は、創作活動については、俺の中である種の結論が出ている。つい最近、俺は実に9年ぶりくらいに、創作によって「救われた」思いをした。何が起きたかは語らないが、「俺はなんのために創作をするのか?」の答えがその時出た気がした。言葉で残す必要もないくらい「俺」は憶えていられると思うので、ここには書かない。あえて圧縮して書くなら、それは
思ったより言葉が出てこない。どうにも難しい。要するに……俺は徹頭徹尾「足りている」のです。救われている。それは幸せであるということではない。戦ってまで手に入れたいものがもう無いということ。色々とおおらかで、気分的には俊ちゃんが言っていた「人を見切った」状態に近い。圧縮すると、だいたい孔子が悪い。アドルフよりよほどの罪人だと思う。こういう世界になってしまった以上はしょうがないけどね。
そして、くだんの事から俺はもう「喪うこと」を気にしないことにした。僕はもうおそれない、失ってしまうことを。どんなに大切なものも。何かを喪えば、我々は「痛み」を抱く。堪え難い痛みを。そしてそれは、生涯消えない。それこそが恩寵なのです。ついた傷を見るたびに、その喪失を思い出せる。それはある意味で、失われた「それ」は永遠にこの身に息づくということです。失われても、消えてしまうことはない。手痛く喪えば喪うほど、心は折れた骨のように強くなる。だからこそ、「心の穴を埋める何か失うことを恐れないわ 自分のことを癒せるのは自分だけだと気づいたから」なのです。すでのな。(ちなみに医学的には折れた骨が強くなるというのは迷信です)
俺を愛すも嫌うも好きにするがよい。とかく「知ったことではない」んですね。それに遅まきながらようやく気がついた。The less you give a fuck, the happier you’ll beだわ。好意も悪意も、正義も不正義も、流転する浮世では、ふとしたきっかけでいともたやすく反転する。そこに合理などない。そして、それでいい。大事なのは、信ずるものを見定めること、そしてsecularityに支配されすぎないこと。花鳥風月にもっと目を向けるべきだったよ。どん底の気分のとき、俺を助けてくれたのはやはり俊ちゃんの詩だった。
世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時に やさしい仕方で)
私はいつまでも独りでいられる
谷川俊太郎「世界が私を愛してくれるので」
これに一番救われたよね。みんなもこのことは忘れないでほしい。世界があなたを愛してくれていることを。あなたは愛される。すべての人を憎むとしても、あるいは憎まれるとしても、微風にゆれる野花が、降りしきる雨が、あなたを愛し続けるのだ。「他人」や「社会」よりもずっとたしかなものだ。そして決して翻ることのないものだ。


どうも長文になるとpreachっぽくなっていけない。Please know that I’m not trying to preach like I’m Reverend Run。
とにかく、8年間と1665件もの記事(250万字)に付き合ってくれてありがとうございました。愛してるぜ!(https://nico.ms/sm112590?from=173)
それでは旅立ちにふさわしい詩とともに、眩しい闇の訪れと共にさようなら。
わたしは花を捨てて行く
ものみな芽吹く三月に
わたしは道を捨てて行く
子等のかけだす三月に
わたしは愛だけを抱いて行く
よろこびとおそれとおまえ
おまえの笑う三月に
谷川俊太郎「三月のうた」
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