チャオチュール
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ヒナまつり、今11話まで見たんですが、クソ面白いのは間違いないんだけど唯一苦手なのがアンズ。なんていうか、作り物のように人が良すぎるんですよね。劇中で「(アンズは)大人にとって都合のいい子供」というワードが出ていたけど、まさにそんな感じ。大人のための人工物。俺の脳はこのもやもやとした感覚を「千石撫子の対極にありながら同一の気持ち悪さを抱えている」と評していた。一生をストックホルム症候群に陥った人質として送っているみたいな異様さがある。ただの「いい子」としてはどうしても見れん。ここまでくると道具ですよ。奴隷ですら無く自由意志がない。「迷惑をかける」という行動の対極を取り続けるようにだけプログラムされた存在。かわいそうなのは抜けない。
アルミンも「いい人とは、自分にとって都合のいい人のことだ」と言っていたし、また奇しくも同じく「アンズ」というキャラクターが登場する大崎梢氏の「晩夏に捧ぐ」でも「もともと『いい子』なんかいないんです。いるとすれば『大人にとって、都合のいい子』であって、それはもう立派な欠陥品ですよ」という台詞がある。アンズが出ているシーンじゅう、そういう不気味さがずっとあった。スキが少ないこのアニメにしては珍しく、ここの気持ち悪さを指摘するキャラクターが一人も居ないばかりか全員賢者の孫のごとく讃え尽くすのでそこも不自然に感じた。天使のメタファーからしても、作者としてはアンズを「そういうキャラクター」として定着させているんだと思うんだけど、主人公を食う勢いで出番をもたせる割にキャラ像がsuperficialなんですよね。そう、これも言いたかった、経験則として「主人公よりも目立ち続けるキャラクターが出てきたら潮時」というものがあって、中盤以降あたりからほとんどアンズが主人公として扱われ続けているように見える。一回ヒナが一度も出ない回とかあったしね。男子高校生の日常みたく意図的にハブるっていうギャグならまだしもそういう感じでもないし。一回こういう現象に陥っている作品の作者が、「◯◯(主人公)より◯◯(サブキャラ)の方が扱いやすすぎるのが悪い」みたいに言っていて、ああそんな理由で主人公がないがしろにされているのかと思って残念になった。それ以降この現象を引き起こしている作品は全員同じ理由でそうなっているのだと勝手に思っているのだけど、なんか嫌でしょ。主人公が扱いにくいってどういうことやねん。そっちの設計ミスでしょ。ていうかマオどこいったねん。
まあ色々不満も言いましたけど、それら全部含めても2014年以降のSoLアニメではダントツで面白いです。類を見ないほど。だからこそ異議を唱えたい部分も見つかってくるのだ。ガッシュとか見てみぃ、ず~っとガッシュが目立ってるぞ。あと進撃なんかは出番自体はそこまで多くなくともずっと物語のキーマンとして動いているから主人公感あってそこら辺うまいっすよね。作者はエレンを「物語の奴隷」って呼んでたけど。
追記:人工物のような子供が嫌いなんだと思ってたけど、崖の上のポニョの宗介はかなり好きだし琴線がけっこう謎。宗介はインパーソナルというよりは人生二周目って感じなだけで、人間らしさは充分あるので大丈夫ってことなのかなぁ。それとも単純に達観してるキャラが好きなのかも知れない。家族を名前で呼ぶっていう関係性も大好き。なにより自我がある。アンズは社会意識の集合体みたいな存在で個人の意志を感じられない。
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