サイノウ
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僕は今まで「才能」という言葉を信じていなかった
よく「自分には才能がないから~できない」という言い訳を見るが、なるほど、確かにそうなのかもしれない
僕は自分の才能を自分で見ることなどできないと考えているが、ならば「才能がない」可能性も存在するわけだ
そしてそれは何よりも人から「ものづくり」への気力を奪う ならばいっそ「才能」という概念を信じなければいいのでは?
今考えると我ながらバカげた思考だが、しかしこの3年間近くは本当に「才能」を信じないことができた
少なくとも、己の作品の稚拙さの言い訳を「才能」という言葉に投げることは1度もなかった
しかしながら、最近になって僕はあるたったひとつの才能だけは信じずにはいられなくなってしまった
他でもない、それは「努力する」才能である
才能の話になると比較的よく出てくる言葉かもしれないが、これだけは真実だと僕は考える
「努力は才能じゃないでしょ」と思う人もいるかも知れない
どうもこの手の話になると、「努力」と「才能」は対になる存在のように扱われるからだ
しかし、「努力すること」正確に言えば「努力し続けること」は間違いなく非凡の才である
一生懸命努力して、自分の人生の貴重な時間を削って、その先で自分が大成できるのかもわからずに、
未来も何も見えないままそれでも自分を信じて進んでいくことは本当に、本当に難しいことなのだ
また、「努力」を「努力」と考えない人もいる
他者から見れば「努力」としか形容できない行為を、心から楽しんでやれている人がいるのだ
努力を努力と意識することなく出来る これもまた素晴らしい努力の才能だろう
あぁ、しかし、残念ながら僕の努力の才能はすっかり枯れてしまったようなのだ!
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