アビス
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破滅した人、あるいは破滅的な人に惹かれてしまうという悪い習性を持っている。
世間一般から見たらどうしようもないでくのぼうのような、無職で酒豪でヤニカスで日夜パチンコに勤んで家では四六時中ゲームか自慰ばかりしているような社会的価値のカケラもない人間に、時たまどうしようもなく惹かれる。破滅願望の面もあるんだろうけど、それとはまた別に、彼らには俺には視えない「遠くの何か」が視えているんじゃないだろうかという疑念。
社会階級のレースだとか、年収がいくらだとか、勝ち組だ負け組だとか、生まれがどうだ家庭がどうだ恋愛がどうだとか、そういうすべての網から最早比べられるまでもなく徹底的にドロップアウトしてしまった人は、きっと他の誰にも視えないものを見ている。
彼らは既に他の大多数の人間と同じ線上にいないのだ。フィールドが違う。次元が違う。テイルズシリーズの戦闘でラインを一つ移動したかのように、そもそも戦っている相手が違うのだ。それが羨ましいのかも知れない。人はどこまで上に行こうが競争というラインから逃れる事はできないが、地下へ地下へと進めばいずれ誰もいなくなる。
そういう中で、細やかで独善的だが自律的な幸せを見つけてしっかり生きている人々を見ると、能動的だなぁと思う。受動的な生は死より醜く、能動的な死は生より美しい。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という遺言があったが、人生とは能動的に死ぬ事なのではないだろうか。能動的に死に向かえていない人生は、命にふさわしくない。ただ死を受動的に待っている生は、詩的に見れば「生」の定義を満たさない。
ただ自殺は能動的な死とは微妙に違うんですよね。近しいものではあるけど。ここらへんに関して以前まとめたはずなんだけどメモを紛失してしまった。
とにかく、破滅に惹かれます。破滅の中でこそ命は輝くんだよ。カイジやテラフォーマーズ1巻が好き。殺された仲間のカマキリの手でゴキブリを刈り取るシーンが生命賛歌という感じがしてとても好きです。
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