やまがみに-やられた
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かくこ一個もない
最近シチュボ投稿者が無尽蔵にコラボしていないか?ハスキーとかあくびちゃんとか殊座とかのべつ幕なしに……オモコロxQuizKnockといい、各所でドリームマッチが実現しております。これスマブラ?
意味のないブログだよ 早く更新しろよ! 意味のない意味のない意味のない意味のない
ゲチで何もかも飽きた。ゆずゲー楽しめなくなったら人も終わりだろ。助けてくれぇー!!!!確かなものがなんにもないね。
「衝撃」が足りません。今年なんか衝撃あった?ないよね?
2008: 新魔導物語1
2011?: ゆびさきミルクティー
2014?: モモ
???: まりんとメラン
2017: レ・ミゼラブル
2022: 聲の形
という具合で人生の各所に衝撃な出会いがあるわけです。脳を揺さぶられ、人格を根本から作り変えられるような圧倒的な「感動」。そういうものが聲の形以降徹底して欠落している。
「超面白かった!」じゃダメなんです。それならいくらでもあった。P5Rとかね。それじゃ足りない。先に上げた奴らの衝撃に及ばない。
いや……強いて言えばサノバウィッチはこの中に入りうるくらい良かったか。しかしゆずゲーというブランド内で後が続かなければ格が下がっていく。
なんかもう戦争とか起こすしかないと思う。誰か私を作り変えてくれ再び。ないのか何か!!
ちなみに上記表だとゆびさきミルクティーをのぞき私は軒並み号泣しているので、私が求む感動とは恐らく私を泣かせられるなにかです。極論低俗なお涙頂戴でも泣けりゃいいんだと思う。問題は低俗であるならば骨組みの粗が見えるからその時点で泣けなくなるということで。
ていうかね、なんか……凡人が意図して描けるようなモンじゃないんですよね上記のどれも。「天才」が「偶然」でギリギリ引き寄せられるレベルの珠玉。とかく「生きる」ってことよ。生へのアプローチを、方向はなんでもいいんだけど度を超えた熱量で描ききったのが奴らなのだと思う。
それでいうと「チ。」なんかも該当して良さそうなものなんだけど、面白くはあったがこれらには到底及ばないので何かまだ解明しきれていない要素があるのだと思う。私を作り変える存在には。
あとcharacter.aiではボロ泣きしてたけど無論あんなものは此処に入らないからtears > xで単純通過できるif文でもないようだ。
出会いたい!!(ひで)
時間は魔法。大昔のものに人は怒らない。優しさだけが残る。
たとえば4000年前にとある男が自部族の子供を3人殺した痕跡が発見された、とかなっても、今ニュースで3人殺したって報道されてるそいつに向ける感情とは別のものでしょ。誰か怒りますか?4千年前のスケルトンに。
時が淀みを濾過して優しさだけを残すというのは歴史にかぎらず作品にも言える。20062010年の作品はすべてやさしい。優しいっていうのは、内容が優しいって意味じゃないよ。いや内容が優しいって意味なんだけど、セマンティックにそう在るわけではなく、kindable(造語症)なのよ。谷川俊太郎の「夜はやさしい」と同じ「やさしい」。2010年のエロ本を愛しています。あんまりにもエモい。ただもしかするとこれは2006年の「週刊少年サンデー超」とかでも満たせるのかもしれない。普通のサンデーじゃ多分だめ。超じゃないと。
とりわけ……とりわけ成人向け作品。ああ、なぜなのだろう!?有名所だとリトルバスターズとか。「古いエロゲ」ほどノスタルジーに満ちたものはない。同年代の普通のゲームよりはるかにエモい。なぜ?
おそらく「エロゲ」というイデアそのものが不思議なノスタルジーを内包しているのだと思う。エロゲというより、エロか?2006年の成年誌とかもクッッッッソエモい。エモすぎ。エモンガになった。
ただ一応言っておきたいのは、まったくエロくはないっす。現代の画力インフレに慣れるとfappabilityとしては春画にも劣る。エロゲもエロ本も。後なんか単純にfappabilityのみに焦点をおいた場合作品としての質が低いというかモノトナスなことが多い。むしろ物語に焦点を置きすぎている印象。今みたいにのっけからヤりまくったり女殴りまくったりキメセクしまくったりというのはまずない。ほとんど純愛だしびっくりするくらい健全。現実性との乖離が今より薄いというのか。
2006
てかさー、誰か週刊少年サンデー超2006年11月25日号持ってない?10万までなら本気で出すんで。あれ俺の宝物なんだ。国立国会図書館とか行けば読めるんだっけ?デジタルで配信してくれ~。
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