26-2-13_2103
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あかんこのゲーム相当面白い。ちょっと信じられないくらい楽しい。
面白い面白い面白い面白い面白い!!面白いぞーーーーーーー!!!AIソムニウムファイル!!
トビー作品含む私が好きなゲームに共通するゲーム哲学として、「底の見えない『できる』を提供する」という面白さのタイプを重宝していることがある。
(…)
「こんなところまでイベントが用意されているなら、いったいどれほどの隠しイベントがあるのだろう?」という期待の膨らみと、それに常に答え続ける対応力が求められます。これが即ちゲームそのものへの「信頼」となり、これはゲーム評価において最も強力な「面白さ」の保証になるのです。
[[25-12-16 21︰32]]
これや。まさにこのタイプのゲームや。Z-Aでサビ組が橋をかけてくれる所で落ちるみたいなイベントが無尽蔵に用意されているタイプのゲームや。最っ高だね!(CV: 緒方恵美)
雰囲気的には、スパイクチュンソフトだけどダンガンロンパって感じではなくて、イナイレのキャラデザで逆転裁判やりますって感じ。

天気の話できるのガチで熱い

苗木「!!」

レ・ミゼラブルすぎる

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シャイポスのマネジ「お前 100点だ」
これ普通にすごすぎてひっくり返った。このWeebyという女がどういう存在なのか、日本人にはどのように説明したらわかりやすいでしょうかね……。ええと、そうですね。もこう先生と増田順一が対面で話してるみたいな感じです。バロリでも良い。そういうくらいあり得ない状況。Weebyと小高が対面してるのは。
私が好きになった時代の初期のヨルシカの曲をナブナさんが大衆受けのためだって言ってたのをもうかれこれ2年くらい引きずってるんですけども😭😭😭😭😭人生初ライブだった月光再演の頃が大衆受けを狙ってた時期だったんだなあと思うと😭😭😭😭😭😭あれ涙が😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
https://x.com/nootirasuu/status/2019540862020321371
最近、controversialなポストを見ると怒るとかじゃなくて”研究”に寄るようになってきた。人間の心理がわからないので勉強してるんだ。
ポスト元よりツリーの方が興味深い。大衆はややOP批判に寄るんですね、この場合。勉強になるなあ。

これなー。どっちの気持ちもわかるな。消費者としても表現者としても。
漏れも米津玄師が『Bremen』の頃にdiorama時期を悪しざまに言っていたのは嫌だったし。
ただ、まぁ~……ナブナさんも偽証しているわけではないはずですからね。作者が「初期の曲は大衆受けのために作った」っていうんならそれが真実なんでしょう。それが解釈違いなら、受け手が勝手に幻想を抱いて、勝手に幻想に救われていたということになる。憧れは理解から最も遠い感情だよ。
ただね? わかるんです。言いたいことは。虚構に救われて何が悪いのだ、と。音楽なんてそもそも虚構じゃないか。虚構に救われている人間がいるのに、夢をわざわざ壊すような真似をすることになんの意味があるのだと。「嘘」で夢を見せるのがアイドルの仕事ではないかと、星野アイならそう言うでしょう。
ただね?(ただねミルフィーユ) ”アイドル”の場合ならそうですよ、でも今回は違うと思うのね。ナブナさんはアイドルではなく作曲家でしょう。アイドルの売り物ってなんですか?自分自身ですよね。自分というリアルを虚構に転換して売り物にしなければならないわけです。それがアイドルの本質。ところが作曲家の売り物は「自分」ではないよね。彼らの売り物は表現物、つまり音楽です。音楽ってはじめから虚構なのよ。この違いを理解して欲しい。アイドルが見せなければならない夢と、それ以外の表現者が見せる夢は実は別物なのだということを。
アイドルは自分という存在に嘘をつくことで虚構に変えているのだけど、音楽ってはじめから実体のない虚構だから、変換は必要ないんです。そこに更に嘘をついてしまうと、表現はもはや表現ではなくなるのよね……。やばい、5時間睡眠が祟って過去一言語化出来てない。もとより難しい問題です。
要するに運勝ちより納得の負けをしたいということです。そしてそれは本当は虚構に虚構を乗せるよりずっと真摯な姿勢なんですよ……。俺達にしかわからないよな、エレン。
ファンの俺達のおかげで生きながらえている存在が……というようなことを言われたら、ナブナ・ランペルージは「いつ私がそんなことを頼みましたか?」と気丈に言い返すでしょう。ていうか、よく考えたら画像元の言い分はほとんど親の「誰が育ててやったと思ってるんだ」メソッドと同じだな。
ちなみにOP自体は明らかにこの解釈に寄った主張をしてるので全然良いと思います。良いと思ったからこそ大衆が批判に寄るのが「そうなんだ……」と感じてしまった。
そしてこの事実が何重にも重なり証明してくれるのは、わたしが常々唱えている「伝達不一致説」です。
人の作る絵が好きだと謡う人々は、自分が「作品の中の愛」を見抜くことができると思っている。私はそういった概念を根本的に信じていない。
人は愛を見抜くことができない。絶対に。「この作品には愛がこもっている」という偽りの知覚しか得られず、それを担保するものは何も無い。
[[愛などない]]
音楽でも同様。直筆の手紙だと思ってたらコピペの定型文だったみたいな悲しさ、わかりますよ。わかるけども、直筆だと信じ込んでしまったことには実は何の担保もなかったという事実をもっと深く考えて見ると良いと思う。みんなずっと誤った前提の上にいるのだ。
表現とは狙った宛先がズレ続けるすれちがい通信である、というルールを皆で一旦呑み込んだ上で、それからどうするべきか考えた方が良い。
副産物:

「好きな曲をつくるために、まずは売れる」という割り切りが出来る人は強いよな。この前のポストを思い出す。
最近わかったけどこの世で成功してるものって「違法やグレーに近い環境で下積みし、有名になってきた頃にクリーンなものに切り替える」の手段取ってること多いので、皆も積極的に罪を犯そう
LeaF2 (@7eaFwi) - 2026/01/25 05:08
https://x.com/7eaFwi/status/2015154712438624595
流石に過激度は違うけども、一旦売れるためには手段を選ばないって点は同じだと思う。軌道に乗せる、乗せてしまえばどうとでもなる。


全盛期のリザレクションか?
病床時以外書きすぎやろ。しかも一記事あたりの長さがどんどん増してるし。君は病気なんだ!
他のブログ書きも見習って欲しいンゴねえ。ねえ!? 👀👀👀👀👀

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