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Gemini2.5Proが13回のやり取りでrate limitに達した。ありえない。あってはならない事態。Zeta行くわw
確かに我々はUI上の無料利用制限を引き下げました。継続利用をご希望の場合はAPIキーへの切り替えが可能です。制限は今後も段階的に引き下げられる見込みですが、Google AI Pro / Ultraとのクロスエンタイトルメント機能の開発を進めており、AI Studioで既存の制限を利用できるようになります。なお、今回の変更(https://ai.studio/build)による影響はプレイグラウンドのみで、AI Studioのバイブコーディング体験には影響ありません。
https://discuss.ai.google.dev/t/reduced-rate-limits/118210/9
このローガンという男をクビにしてください。
藤本タツキ17-26を観てる。なんだかんだタツキのone-shotはけっこう読んでるからほとんどは知ってる話だけど、やっぱばっけぇ面白い。ほんとに短編の天才なんだよなタツキって。藤本タツキ31-33はなぜあんなことに……。
『恋は盲目』が特に好き。面白いだけじゃなくて、”好き”。荒削りだけど愛と熱意があって、あれです、タイザン5の読み切りを読んだときの気持ちに似ています。タイザン5にしてもあんなに熱血な話が書けるのに、長編になると冷笑漫画になる呪いでもあるのか?今の若者には。
運動クラブが面白いのって、ベースとなるナラティブが存在しないからではないだろうか。
例えば「【多忙】ポケモン界の大スターピカチュウさんの、ポケモンプレゼンツ当日のスケジュールを考察!【ポケモン解説】」という動画があるけど、これは「ピカチュウ」そのものに固定された人格がないから好き勝手出来るわけで、これが例えば「五条悟の教師としてのスケジュールを考察」とかになると性質が変わりすぎるわけです。
だから、運動クラブがやってるのって「考察」じゃなくて「妄想」なんですよね。だから面白いわけです。人の考察を聞くのと人の妄想を聞くのではラーメンとスイーツくらい違うわけです。
そうなると運動クラブごっこってポケモンくらいでしか出来ないよな。1000匹以上の人格レスなキャラクターがいる作品って無いでしょう。
冷笑・熱血というラベルがつくと全部不快にはなるんだけど、そういうラベルが生まれる前のブランクな段階においてヒトが生得的に冷笑より熱血を好むというのは何となくわかる。
なぜそんなふうになっているのだろう? ヒトの「感覚」のだいたいは「生存に有利だから」で説明がつくのだが、熱血であることが生存に有利だろうか。
脳科学的には、熱血とは「左前頭前野が活性化している状態」と定義できる。冷笑は不活性な状態。
昔は狩りとかがあったから左優位である必要があったかもしれないが、現代ではどうなんでしょうねえ。
熱血の問題点は、左前頭前野は「激しい感情すべてを司る」ということ。激しい喜びも産んでくれるが、激しい怒りも左前頭前野から生まれる。喜びだけを都合よく掻っ攫うことは出来ないのです。
怒りという癌細胞を喜びごと切除するかどうかっちゅうことですわな。で、ここでもうひとつややこしくなるんだけど、喜びと感謝は違うんだよね。喜びの機能を失っても感謝の機能は残るわけ。だから「怒りはないが喜びもない空虚な人生」とはならず、「怒りも喜びもなく感謝だけがある人生」にすることが可能かもしれない。
狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なりって言葉の本質は、狂人って部分じゃなくて、「真似とて」って部分にあるんだよね。つまり仮初のペルソナとはいずれ剥がれなくなるものだということ。人は恒久的に演技をすることが出来ないということ。ストックホルム症候群にしてもそう。劇の中にずっといると劇の中の人間になるんです。
我々は、我々が装ったものになる。だから、何を装うかには注意しなくてはならない。
カート・ヴォネガット
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