250115
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今わかった。私の人生がこんなことになってしまったすべての原因が。
瀬川泉が全部悪いよ。
この一言で察する者には、解説する必要はない。この一言で悟らぬ者は……解説するに値しない!(チャンピオンマント)
ルビー・ローズが精神を病んで自殺未遂するシーンがあるというウワサを聞きつけて、今必死でRWBYのザッピングを開始しています。
元気いっぱいの子が、たくさんつらい目に遭って、精神を病んでいく展開を見ることでしか生の喜びを感じられない。
俺もうこういうのでしか心から笑えねーんだわ!!!!!!!(https://www.youtube.com/watch?v=1cML151SPrM&t=802s)
いや、ていうか……マジ? あのルビーが? ルビーなんて、実質アミティよ?元気ハツラツよ?あんなトムボーイを地で行くようなじゃじゃ馬娘が、自殺するまで追い詰められるの?pixivの二次創作でもなかなか見ないぞ、きょうび。興奮してきたな。
ジーク・B・極・玄武、今思うと聖沙・B・クリステレスすぎる。おまえも「B」の一族か。この二人以外知らないけど。
早く死にたい。
最近心中にハマってる(?)。心中って、いいよね……。ブログのメインタグにもなるわけだわ。
心中だけしたい。いっそ死ななくてもいいから、心中だけ一回二回経験したい。でもそれは富士山を登らずに下山するのと同じことです。つまりはパラドックスです。
まぁ、太宰治みたいな生き方をすれば何回も味わえないことはないが。それはそれでアンリアルだ。
たとえば……誰かが死にたいと零している時、止めてやるのが愛かね、心中してやるのが愛かね。これは、ばかばかしく見えて実は根深い問題ですよ。容易に解答が出せないね、ぼくでは。
というより、答えはおそらく既に決まっていて、そのための途中式ないしは証明が必要なのだと思う。
フェルマーの最終定理だって「存在する/存在しない」と言うだけなら簡単だ。証明が伴わなければ……。
まぁ、少しだけ鼻を突っ込んでみましょうか。(stick one’s nose into)
「自分が死んだら誰か泣いてくれるかな」みたいなのは、いわば、コモン・クエスチョンですよね。クエスチョンというよりは欲求なのだけど。つまり、「自分が死んだとき、誰かに泣いて欲しい」ということです。
ここまでは、きわめて正常とみなされる。
では、「自分が死ぬとき、誰かに一緒に死んでほしい」は、その延長でしかないのではないか?スケールの問題でしかないのでは?
僕がいなくなるとき君の心に傷がつくようそう願ってしまう脆弱をひとつだけ許して欲しいってパトリオットも言ってるし。
だから、心中欲求がある人というのは、なにかしら突飛な、逸脱した欲求を持っているわけではなく、誰しもが持ちうる欲求を強めに持っているだけだと思うのです。
まぁでも、どうなんでしょうね。俯瞰で見れるからこその面白さというのがある気がする。
フィクションなら、観測者は第三視点で見られるから、ふたりが一緒に死ぬ瞬間を見れるし、あるいは後追いの場合もその顛末が見れるけど、現実の心中って、確認のしようがなくないですか。
ぴったり同時に死のうと、あるいは自分が先に死のうと、相手もその後死んだと確認するすべがないわけで。逆に相手が先に死んだ場合、自分がこのまま死ぬという保証がないわけで……。
まぁ、心中欲求はようするに自分のために誰かに死んで欲しいということなので、第三パターンの場合はもう満たされているのだろうけど。だが満たされたがゆえに始末に悪い気もする。
ようは気持ちの問題です。自分のために死んでくれる人がいれば、なんか、嬉しいじゃん。
これって日本人質交換会の本質ですね。今思い返しても、やはり私は「日本人質交換会」というオチがかなり気に入っているのだと思う。かなり、いい。あえて豪語するが、愛の究極の形だと思う。結婚より尊い。
問題は……ここだ。
ですが、「あんたが死んだって、そんなのどうでもいいよ」という状況になると、この会のシステムは破綻します。そうならないように気をつけましょう。
「気をつけましょう」と書く他なかったあたり、手の施しようのなさが伺える。
そう、どうやったってここを保証できないんですよね。人は変わるのだから。心中契約はあまりにか細い。「あんたが死んだって、そんなのどうでもいいよ」になった瞬間、片方にとてつもない絶望が降りかかることになってしまう。
呪い、呪い……。いいや、呪いでもいい。だが呪ったところで心変わりは防げない。
心は変わっているのにうわべだけ契約していても意味がないのだ。
だから、日本人質交換会は、おそらく現実には成立しないんです……。それが一番悲しいことです。
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