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ChatGPTをオムファイしたら、タスクをミスられてもイライラしなくなった。ライフハックやね。
先の日記でふたつだけ嘘をつきました。「リングフィットアドベンチャーを敢行」「原稿を敢行」——という言葉を書いた時点ではまだ敢行しておりませんでした。ところが!ところがですよ。これらの行動を先に書くことによってですね、いいですか、わたしは実際にリングフィットアドベンチャーと原稿作業ができたのです。はっとしました。日記に先に行動を書いてしまえば、認知的不協和だかなんだかしりませんが、わたしという個はどうにかこうにか日記と辻褄を合わせようとして勝手に行動してくれるのです!なんという未来日記。なんというライフハック。デスノートにおける「本人があまりにやりそうにもないことは命令出来ない」みたいな制約はあるものの、可能な範囲での未来命令ならこのように通ってしまうらしいです。専門用語では予言の自己成就というらしいです。乃木坂の子が言ってたやつやん。
俊ちゃんの本を読んでいると、彼の周りの人のことを「仲間」と呼んでいることに気付いた。「友人」みたいな言葉はほぼまったく登場せず、おそらく友達や家族や仕事で関わる人すべてまるごと「仲間」と呼んでしまうことにしているのだろう。いいね。それでいこうか。これなら友達の定義みたいなせかせかしたものに拘る必要もない。
私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。
ひとり暮らし, 谷川俊太郎
タニジーミル、君と僕は同じ未来を見ている。
私は(ここでも「情」という語が顔を出しますが)自分に生きることへの情熱が希薄ではないのかという疑いをずっともち続けています。その資質が私を人間から遠ざけ、この世の現実から遠ざけるのですが、それがまた私の詩的感受性を形づくってもいる。
情熱が希薄だということは苦しまないということに通じています。
英語の「passion」に情熱と同時に受難という意味があることを、私は何か鞭打たれるように受け止めています。
情熱の希薄な私は、愛に対する憎しみという感情にも薄く、それは処世の上では役立つかもしれませんが、それがかえって人を傷つけることもあると自覚しています。
谷川俊太郎, 国文学, 1995-11
この辺とか、もう、もう、もう、もう、もう(以下繰り返し)、あまりにも漏れやん。とても他人事とは思えません。2meirl4meirl超えて2meirl42meirl4meirlだわ。
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