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AIのこういう姿だけを見ていたい。
ゅかにゃんのペコというキャラクター、「通信の学校で高卒認定を目指しつつ色々なアルバイトを転々としているフリーター」という設定がリアルすぎて以降の話が入ってこなかった。
休日の過ごし方について聞かれると、藤井は「まじで趣味がない。スーパーに買い物に行ったりしています」と告白。「食材を買いだめて、あと1週間を乗り切るみたいな買い物を。それの道中のお散歩だったり、そこも音楽を聞いたり、もうホントに地味な生活をしてます」と明かした。
その中で自身の音楽を聞くことがあるかと問われると、「NO!」とキッパリ。「ないですね。自分の中にないものを常に探し求めたいので。ちょっと時間がもったいないと思っちゃう」と語った。
2019年に上京したが、東京での友人については「できてるできてる」と藤井。以前のインタビューでの回答に触れ「“いない”って言ってたんだ」と振り返り、「そりゃいないわ、上京してきた当時はいない。岡山から上京する人なんて1人もいませんから」と笑わせた。
またエゴサーチについては「やめたいんです」と漏らしたが、「ていうか、最近は結構やめられてます。“記録更新”みたいな」と報告。「スパッとやめたほうが、その分有意義に過ごせたり、クリエイティブになれたりするのかなって思う。でもそういう情報とか意見も必要なのかなって」と悩んでいる様子。「正解が分からない。エゴサってするべきなんですか?っていうのが」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fd1f39dcd1a6f904f2f727953224ad992bf5112
話が違いすぎるやん。「自分の中にないものを常に探し求めたい」て。何もかも既に持ってるのにねと歌ってどした?
Prema、さすがに聴きますかぁ……。インタビューではけっこう世迷言を言っていたけど、まあ気持ちはとてもわかる。英語の歌詞って書くの楽しいんですよ。しばらく日本語しか書いてなかった場合とくに。音のハメ方がぜんぜん違うから、曲の作り方が全く変わってくるんですよね。日本語って多くの音を求められすぎる。I need you backと歌うなら4音あればいいんだけど、日本語だと「かえして」とか「もどして」と歌うのがせいぜい。逆に言えばそれはsimplicityを強化してくれるから、藤井風インタビューの「英語だと歌詞がシンプルでクリーンになる」というのはあまり同意しがたい。曖昧さが減るという意味ならわかるが。
1:Casket Girl
- 音量バランスおかしくね?
- 星野源といい何故洋楽かぶれは皆砕けた英語を使いたがるのだろう。あんたはブラックでもゲットーでもフードでもないのにね。ダサいからやめるべき。
- 百歩譲ってuまではいいとしてnはあり得ん。見たこと無いよ。崩したいだけすぎる。
- 私自身ネイティブじゃないからなんとも言えんけど、やっぱ発音が完璧ではない気がする。往々にしてRhoticityがやりすぎである。聴き取りづらい。
- 感想→特に無し
2:I need you back
- 藤井風にしてはとても挑戦的なイントロである。インタビュー読んでバックグラウンドを知ってるからちょい聴きやすいかもね。
- これはだいぶ曲としていいな。熱入ってるわ。
- 青春病に殴られそうな曲ではありますがね。だいぶ懐古厨な歌詞だ。Don’t look backの対義語みたいな曲。
- I wasn’t right, I’ve been scandalous←言えたじゃねえか……
様々なインタビューによれば、「パーソナル」という意味には、「Grace」リリース後の燃え尽き感や、曲を作らなければならないという葛藤の中で、
「生きなければいけない」と自身に言い聞かせていた背景があるそうです。
https://ameblo.jp/kanamem0625/entry-12928932884.html
「I Need U Back」では、道を踏み外し情熱を失った日々から生きるエネルギーを取り戻そうとする願いが綴られる。
ポーター・ロビンソンといい、一度「完成」されたステージまでいってしまったアーティストってこうやって迷っていくよね。おもしろいことに、完成されてしまった人間は急速に生きる希望を失ってしまうんですよ。
まあ、しょうがないんですよ。「生きなければならない」なら、天井見てしまったらもう別ジャンルに逃げ込むしかないから。レベルダウンしてまで、晩節を汚してまで、それでも生きなければならないんですよ。人生は続くのだから。全く別の世界でやり直して新しい希望を見つけるしか無い。
だから倉橋ヨエコみたいに自分の中のテッペン見てからスパッと辞めるのはアーティストとしては理想的ではあるけど、ヨエコがそうであったように人間としてはそれではとても生きられない。生きるべきはアートか人か。人が生きるべきというのなら認めてやるほかないのです、ルビーのコンテストへの挑戦を。
3:it ain’t over
- 知ってる3曲は飛ばしてこっちへ。80年代の映画のエンドロールみたいな曲や。
- なんかすげーエド・シーランっぽい気もする。リズムが。
and they say, nothing ever stays the same
but with faith, we find something that will never change
- そうですか
- 本音が漏れちゃったねぇ、風まろクン。変わらぬものにしがみついていたいか。まだ。
4:You
- 了解
- キラキラしてていいと思った(小並感)
- ヨシュアみたいな部分あったな
5:Ok goodbye
私はいつも手放すことの大切さを歌ってきた。そして今のところこの歌が一番のお気に入り。私たちはやがてこの世のすべてに別れを告げなければならない。そしてこのビタースウィートな曲がカジュアルにその手助けをしてくれることを願っている。
- ずっと同じことしかしてない(チャオチャオ)
- じゃあ「きらり」か「帰ろう」でいいだろという。このPT、タイプが被りすぎてて弱いよ~! 統一パか?
6:Forever Young
- だいぶ面食らうタイトルではある。青春病のことを考えると。
- サンサ・スタークみてーなことを言って
- 曲としては気合はいってて結構好き なつかしいユーロビートな感じ
- 天才てれびくんのエンディングだろこんなん
- 歌詞はんにゃぴ……(警察) やはり青春病に反してる気がするけどなぁ。
意味のないアルバムだよ。I Need U Back以外外れ。
とにかく胸を打つ歌詞が一箇所もない。クリーンヒットはおろかヒットすらない。評価のしようがない。英語だからとかいう問題じゃない。エド・シーランやGATHなら英語でも胸を打つ歌詞が山ほどある。before I save someone else, I’ve got to save myselfとかlife is changing tidesとか。
藤井風ってけっきょく自分のことしか歌わないから凄く世界が閉じているんだよな。自分ごとばっか。他人と向き合う歌を歌ってもそれはいつも自分という鏡に映る他人を鏡越しに見ているだけ。エゴだよそれは!
Don’t you ever forget
In this world there’s no one else but you
Can’t u see that I am god itself
I am god itself
きついっす。やりすぎ。
無私を歌いながら滅茶苦茶エゴに支配されてると思う。もちろん風まろ的には自分というよりはもっと壮大な愛について歌ってるつもりなんだろうけど、それが結局自分というレンズを通しているにすぎないから欺瞞なんだよな。米津玄師のほうがよっっぽど無私をやれている。
いや、言いたいことはわかるよ?I am god itselfも要するに器理論でしょう。神は私の中(そしてあなたの中)に眠るのだと。自分が神様だとかおごったことを主張しているわけじゃないんでしょう? 言いたいことはわかるけど、そういう話じゃない。
ポーター・ロビンソンがお気持ち表明をするときに「僕が大好きな日本のアーティストが新しい音楽スタイルにシフトした素晴らしいアルバムを出した。それに対する辛辣な日本語のツイートを見て、ファンとして、同業のアーティストとして、自分の気持ちを伝えたいと思う。」という前置きをつけたのを良く覚えているのだけど、藤井風のやってることはこれにかなり近い。他人や別概念の為の笠を着て自分の言いたいことを言ってるだけ。そんなことならI statementのほうがよっぽど誠実ですね。
あとLove like thisとか特にそうだったけど、シンプルでクリーンを唄いながら歌詞がどんどんハイコンテクスト化してきていって、わかるヤツにしかわからない(あるいは、わかるやつにだけわかればいい)感じになってきている。一見どう聴いても恋愛の歌をハイヤーセルフの歌だと断固する時点で結構もう視聴者厳選してんのに、まだやるかね。I am god itselfとかもそうだけど。誰もが梵我一如の文脈で一撃で読んでくれるわけがなさすぎるし、パンピーにとってはあまりにも過剰な要求。とにかくハイコンテクト化していて常連が居着いている入りにくい飲み屋みたいになってる。
このへんはつくづく米津玄師と真逆だと思う。他がコケすぎてどんどん米津玄師の株が上がっていく謎の世界。
LASAまではハンブルさが超常的でなかったというか、まだパンピーに寄り添い俺もパンピーだという気持ちを強く抱えていたように思えるけど、本譜は全体的に「なりたい自分」に寄りすぎな気がする。
LASAには「へでもねーよ」とか「damn」みたいな曲があったじゃん。そういう曲がなくね?全然あけすけじゃないよ。
感想戦
もう表現できることはやり尽くしたんじゃないかとか。このテンションで、この感じでもうできることってなくね?みたいなとこまでいっちゃったんですよね。
ネガティブでもポジティブでもなく、本当に何かが終わったって感じ。だからシンプルに何すればいいか分かんなかったし、次の一歩を踏み出すまでは、凄く時間とエネルギーがかかりましたけど。。
なんとか色んな周りからのお導きを得て、少しずつ1つ1つステップを踏み出すことができて、やっと、こういうアルバムを次作ろうという決断に至ったって感じ。
このケース、全アーティストが通るのか?そんなことないと思いたいが。
米津玄師もBremenで大舵切って最低のアルバムになったし、星野源もYELLOW DANCERから恋でバカウケして本物の偽鬱状態になってPOP VIRUSで盛り下がり。ポーターはむしろ峠を超えてから覚醒したような気もするけど……。
まあでも、これもまた通過点ですから。今藤井風は過去と比べて成長したとか進化したとか思ってるけど、これがまたさらに塗り替わるわけです、4thアルバムで。今はラディカルな変革をただ性癖的に追い求める「反抗期」であり、第二次性徴期である。そういうもんだと思ってます、もう。いちいち途中経過の音楽性を咀嚼してても意味ないわ。特に若いアーティストは5~6番目のフルアルバムあたりからようやく音楽性が安定してくる印象です。
yeah, もう愛は全てですね。
みなさんが、我々が思っているよりも全てだと思ってます。
何もかもが「愛」でできてると思うし。そういう意味では、自分の全てを出し切りますよっという、そのぐらいの覚悟をもってしか完成できなかったアルバムになっているので、
そういう意味では、全てである「愛」という大きなテーマを掲げないと作れなかったと思うし、そのぐらいの覚悟でやっと作れた、完成できたというものになっていると思うので、このアルバムは、これまでの全てであり、愛は全てです、って感じ。。
いずれこれは彼にとって呪いになるだろうな……。愛の負の側面をあまり触れていない気がするんですよね、藤井風は。
あのね…『信じる事』と『疑う事』って、きっと反対の意味じゃないと思うんだ。
疑いもするけど…それでも信じたい。その先にあるのが『信じる』って気持ちなんだよ。
だって…疑う余地のないハッキリしている事なら、信じる必要だってないでしょ?
誰かを信じる為にはね…『疑う』って事を乗り越えなきゃいけないんだよ。
『疑う』事を放棄した『信じる』なんて…そんなのただの嘘っぱちだよ。
藤井風は、愛を疑ったことがあるのだろうか。徹底した疑いの先になおも愛こそ全てと歌うことこそが愛を打ち立てる唯一の術だと思うのだけど。そう!谷川俊太郎のようにッ!!
藤井風は愛の伝道師としてあまりにもまだ魂のステージが低い。覚えたての言葉を使いたがる子供みたいだ。私にもそういう時期があったが。
この言葉はいつも私の心のそばにあり、このアルバムの名前もそうしなければならなかった。なぜなら、そのような純粋な愛からのみ、神は私にこのプロジェクトを完成させてくださると分かっていたから。人生のある時期、このアルバムを神が完成させてくれるよう毎日祈った。なぜなら私は自分ではやりたくなかった。彼は彼がしたことをしたのだ。
https://kazememo.blog.jp/archives/28420928.html
こ、こいつ……本願他力を成就している……!
Ok goodbyeとかが顕著だが、日本語で言いたいことがなくなったから、まったく同じことを英語で言います、ってのはどうなんだ。言語を変えるんじゃなくてメッセージの方を変えろよと思う。
一番お笑いなのが、
日本人「うーん、微妙だけど海外向けの音楽だしな。海外ではウケてるんだろうなぁ」
海外「うーん、微妙だけど日本人の音楽だしな。日本ではウケてるんだろうなぁ」
という状態になってる点。もう、悲しいくらい海外でスベってるからなPrema。日本人アーティストの海外進出は99%失敗してるから彼に限った話ではないが。若手で一番ウケてるのがAdoな時点で言語の問題じゃないことを理解したほうがいい。
https://x.com/hit3Zepyr/status/1964222052401107060
なるほどなー(アイギス)
ポケソルのせつないさんとワガハイの笑い方似てると思う。
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