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NHKにようこそのアニオリ、総て良いので凄い。ていうかどのフランチャイズも最終話が素晴らしいんだよな。まぁ漫画は物語としては破綻してるけど、それでもあれも素晴らしい。
アニオリのさぁ、最後岬ちゃんの元家で「とりとめのない話」をするシーンがほんとに好きなんすよ。最初の天丼セクハラも好き。
Geminiクンはなかなかやりおる。
神の拡張機能を(Geminiくんが)作ったため、優勝。すべてのインターネットから不快な文言を一掃する。辻斬り回避のためのアーマーよ。
キタニタツヤに再び言及しちゃいまつ。いや今の炎上じゃなくてその前の炎上について。他にトピックがないので……。
これです。もうね、絶対的に言いたいことがある。これはキタニタツヤに限らず藤本タツキとかにも見られた致命的な誤解なんですが、他の人からすると「あなたが規定する自分」は意味がないということ。それはどういうことですか?
ここのキタニタツヤの言い分は、「おれだってお前らと同じ弱者クネクネだったのがたまたま運が良くて今のポストに収まっただけで、本質はお前らと同じなんだよ」ってことです。
これは、ひとまず本当としてあげましょう。が、これが本当であったとて関係がないのよ。
なぜならキタニタツヤはもうアーティストになっているから。他者が規定する、世間――というと主語がデカいなら6.3万人といってもいいが――が規定するキタニタツヤは、すでに「東大、イケメン、一流クリエイター」なのです。
キタニタツヤが自分をどう思おうが、間違いなく彼は東大卒だし、間違いなくイケメンだし、戦績を見れば明らかに一流クリエイターなのです。そうであることからは逃れられない。本人が何を思っていようとも。
で、例えマグレだろうとなんだろうとその位置に落ち着いてしまった人間は、その位置にいる人間なりの振る舞いを見せる必要がある。
皆さん小学生の頃「もう5年生なんだから~」みたいな説教をされたことがあると思います。その時「おれだって好きで5年生になったわけじゃないやい。心はいまも1年生だ!」といって、1年生同然の振る舞いをしていいと思いますか? キタニタツヤがやっているのはそういうことと変わらない。
そこを「本当はおれもお前らと同じ」というところまで土俵を下げるのは謙遜じゃなくて立場上の責任を回避する行為にしか見えません。よしんば心は今もネットクネクネオタクだとしても、「キタニタツヤ」として行動にうつしちゃいけない。どうしてもクネクネしたいんなら匿名の別アカウントでも作ってやれ。そうしないのはキタニタツヤの発信力を持ったまま、キタニタツヤの責任を回避してクネクネしたいってことでしょう。
自分が発信力のある人間だと自覚し、それなりの行動をすること。これが名声を持つ者の責任だと思う。米津玄師をごらんなさい。あんなにしっかり器をやれてるやつはいない。
米津玄師だって、言ってしまえばクネクネ弱者がニコ動で当たって有名になった人間ですからね。しかし彼は自分が発信力を得てしまったこと、それによって不慮に大衆を傷つけてしまう事があることを自覚していて、そのうえで表現を吟味している。
それは規制をかけるという意味ではなく、「これをすれば誰かが傷つくかも」ということを理解したうえで取捨選択するということです。それでも理由があって突き進む場合もあるだろうし。大事なのはそのフィルターを一回かましたということ。
それでいうとキタニタツヤも発言前に推敲はしているようだけど、フィルターが甘いんでしょうね。
あのね、ネットで一回燃えるだけなら運悪く魑魅魍魎共にハズレくじを引かされただけ、ってことも大いにあると思いますよ。でも何度も何度も燃えてる奴ってのはやっぱどこか自分を見直すべきだと思う。流石におかしいんで。
ハアハアハアハアハア……。まぁそうはいってもキタニタツヤの音楽は好きだし、ラジオの発言にもおおよそは共感できた。朝5時に呟くような奴はそりゃすり減ってるわな。
ただあまりに自分が今いるポストを放棄するような発言が目立つので、そこは違うんじゃないかと言いたかった。特にここ↓がひどい。
だってキラキラミュージシャン・キラキラ芸能人じゃねぇんだもん。たまたまインターネットの片隅から生まれて音楽を始めて作ってたら、何かこういう位置に運良く収まったけど、本当にただの一般人なわけですよ。
推定年収数億円、「Best Trending Video」「金音創作獎」やらを受賞し、紅白歌合戦に出場している人間が「本当にただの一般人」で通るわけねーだろ。
キタニタツヤにはなーーーんも恨みないんです。キタニタツヤの音楽はこれからも変わらず聴き続けるだろうし、現存する日本のアーティストだと1,2を争うくらい歌声が好きだし、あと顔もけっこう好きなのよね。でも性格は嫌い。この感覚わかるかなぁ。
ラジオの最後の方で「こいつら絶対おれの音楽で負かしてやるぜって思った」って言ってるんだけど、これもなんかなぁ~って思う。ピントがずれているというか。藤井風なら口が裂けてもこんな事は言わないでしょうね。「誰に勝ちたいわけ?」って言うと思う。「おれとお前らはわかりあえる」としながら「勝ち負け」に持ち込んでる時点で……。
キタニタツヤは自分の音楽と自分の人格性を融合させているみたいだけど、誰もがそんなふうに見ているわけではないし、キタニタツヤが涙が出るほど感動する音楽を作ろうがキタニタツヤ自身の人格に懐疑的であるということは可能だと思うけどな。その場合はやはりピントがずれたブロウである。
元々の批判は、彼の音楽の質ではなく、公的な立場と振る舞いの不一致に向けられたものであって、それに対し「音楽」で応えようとすることは、議論の土俵をすり替える行為ではないかね。
もっとも『影ソング』とか『一生不幸でかまわない』のように音楽の内容そのものがアンサーになっている場合はその限りではないが。まぁ後者は正確にはダイレクトなアンサーソングではないらしいけど。
まぁ、たっちゃん29歳だしな……。それもネットに入り浸った29歳ならむしろ性格としては平均的かそれよかマシなくらいではあるでしょうね。
これが60歳とかになると俊ちゃんレベルまで成熟するんでしょうか。する気もするししない気もする。少なくとも60代になっても今みたいな言論は絶対にしていないでしょう。彼も私も……。
僕に小説が書けないのは、自分に生きることを物語として捉える興味がないから、ひいては自分自身を含めて人間そのものに執着がないからかもしれませんが、生きるいのちの一瞬には時として深い感動を覚えます。
[谷川俊太郎 新潮]
最高。
俊ちゃんの「人間に執着がない」っていうのは本当にすごくて。例えば、デビットライスみたいな人のことを「人間に執着がない人」と呼ぶ事もできるかもしれないけど、あれは無関心ではなく憎悪に傾いているじゃん。程度の差こそあれど、みんなそうであるはずなのよ。どちらかに傾いてる。
しかし俊ちゃんにはその傾きがまったく見られない。心底どうなってもいいと思っている。人間が救われてようと裁かれてようと、まるで波風が立たない。
わたしも平均よりは俊ちゃんの感性に近いと思うけど、こうありたいものだね。
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