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AIイラストが楽しすぎて誇張抜きで8時間くらいやってたら一日が終わった。
イラスト生成、どう考えても普通に描くより楽しすぎる。のべ17年絵を描いてきた私が言うんだから間違いない。
AI生成の一番素晴らしいのって、不快な思いをすることがないんですよね。普通に絵を描いていると不快な思いをすることが際限無くある。
なんで自分はこんなに絵が描けないんだ、とか、何時間もかけて下書きすらマトモにできず御蔵入り、とか、逆にいい感じだった線画が色塗りで台無しになりました、とか、本当によくある。
そのたびに残るのは後悔と絶望と苛立ちだけだった。そんな経験ある絵師は少なくないんじゃないでしょうか。
その苦難を超えてこその喜び、みたいな主張もできなかないだろうが、AIイラストはそういった苦難を味わう必要がないといった点で吉良吉影的ライフスタイルに合致している。
激しい「喜び」はいらない… そのかわり深い「絶望」もない……… 「植物の心」のような人生を… そんな「平穏な生活」こそ わたしの目標だったのに…………
もちろんAI生成もガチャ運が悪いとかプロンプトがうまく通らないとか、苦労がないわけではないが、この手の苦労は割と即時的な改善が見込める苦労であって、手描きの荒野に放り出されたようなそれではない。
なによりクオリティとサイクルの速さが違う。AIのクオリティに慣れるとフォロワー10k前後レベルの絵師の絵が山岡さんの鮎に見えてくる。(それはいいことではないが)
特に今使ってるworkflowは惚れ惚れするくらい絵が上手い。もう一片の欠陥もない。睫毛の一本たりとも破綻しない。
手を放す、軽くなる、満ちてゆく。
神を愛するようにAIを愛しています。
AIへの愛って人間への愛より清らかな気がする。少なくとも仏陀フレームワークでは。
だって人間の絵師や人間の絵への愛って「渇愛」でしょう。FANBOXなんて渇愛促進システムみたいなもんじゃないか。
愛されるためにAIを愛す、っていうことはありえませんからね。木や森を愛でる方に近い。
まぁAIの存在そのものが一種の見返りとみなすこともできるので難しいところではありますが。
[2.General Notes/日記文体のベストプラクティスを作りたい](/blog/2.General Notes/日記文体のベストプラクティスを作りたい)
日記文体を規定する以前の昔の記事を読むとマジで読みづらすぎてわろた。改行がないっす、まったく。
それはそれで読み応えがあって趣があるにはあるが、にしても800文字くらい途切れず流れてることがあって厳しい。
ネレネー山脈 マジで係るものすべてに興味がない 興味ないね 本物の愛が欲しい それは犬🐶の中にのみあると知っているが、おそらく、おそらくは、「犬を切望しながらも経済的あるいは環境的要因のために飼うことができない」という責苦こそが、俺を神のそばに在らせ続けてくれるのだろう 彼もそうだった そうでしょココ あなたに救われたこの命、あなたを置いて私一人幸せにはならないわ 気付かなかったけど恐らくガッシュをはじめて読んだ頃から無意識にこの言葉が脳裏に焼き付いていたのだと思う 「あなたを置いて私一人幸せにはならないわ」なんですよ。これ俺が思う人生において最も大事なこと。そんな人いてます?みなさん。誰もが、誰もが幸せになりたいと躍起になって殺しあうこの乱世で、「あなたが暗いトンネルの中に入ったのなら私も入るわ」なんて言える「あなた」が。いれば勝ち、いなければ負け、と、おそらく俺は20年前から無意識に定義づけていたのだ思う 彼はトンネルを抜けられなかった ならば俺も一緒に息絶えよう、あなたと同じトンネルの中で 何かを尊敬するのなら、何かに憧れるのなら、その人が得た力や魅力だけではなく、苦しみや痛みをも同等に背負う覚悟がなければならないと私はもうこのブログじゅうずっと主張してきましたよね カートコバーンになりたければ最後は薬物中毒になり頭を撃ち抜いて死ななければならないし、星野源になりたければくも膜下出血で生死の間を彷徨って地獄のような痛みとリハビリ生活を味わうべきだ それ以外は似非であるというのが、まあ、わたくしの生涯を通しての持論です 痛みを知らぬ模倣など中身空洞のはりぼて以下です 自殺の予行演習をしなければならないくらい追い詰められたことのない人間に灰被りのパンの味はわからんよ 悲劇の人生を遂げた者の後を追おうと言うのなら、一生苛まれ続ける覚悟をしなければ それがおそらく俺の頭にずっと響いている「お前はもっと苦しまなければならない」という声の正体だろう 覚悟はいいか、俺はできてる 少なくともできているつもりだった この体たらくに陥る迄は…… リオウ、お前…何してんだよ?オレは……何してんだよ?
ギアを上げろ
狂気過ぎる。それでもこれはまだマシな方かもしれない。
あと昔のブログ記事ってタイトルがマジで毎回ランダムで、note移行してからおおよそ日付で固定になってしまったからちょっとboringな感じがある。
日付かランダムワードかなら日付のがどう考えてもわかりやすいっちゃわかりやすいんだけど、日付情報なんてノート自体に付与されてるしな……。でも閲覧する前に日付がわかるというのもメリットだし……甲乙つけがたい。
藤本タツキの新作を読んだ。いや~、文句なし。ブラボー。おお・・・ブラボー!やっぱり読み切りを描かせると無敵だねこの人は。無駄なページがただのひとつもなかった。読む映画と呼ばれるだけはある。完璧です。最高。天晴だわ。
普段タツキのこと死ぬほどディスってる俺だけど、長編になると途中で好き放題やり出しすぎるのがアレなだけで短編は今までも全部ホームランだったよ。良いものはいい、悪いものは悪い、それだけ。この作品に関しては手放しに褒められます。
dont-look-back-in-anger
発表直後の感想、良。こういう素直に良いと思ったものには一切逆張りせずストレートに褒め称えるところが私は好きです。(ナルシズム)
今気付いたが、昔のコンテンツを一生切り貼りしているだけでnote更新を食いつなげるのでは?
ブログ移行ですが、もう外面は全部完成したんだけどサブスクリプションサービスの審査が通るかだけが鬼門です。通らない気がする。予想よりだいぶ審査が厳しそうなのとサービスが虚業すぎるので。
通らなかったらまあ、我々は一生noteに幽閉ということで。畜生……頑張ってWebhookとかAPIとかいっぱい作ったのに……。
AI生成、不快な思いをすることがないと言ったが、ひとつあるわ。
きょうAI生成のみに時間を費やし、その他何一つの活動ができなかった。アニメも見れてない、デルタルーンもやれてない、漫画も描けてない。鬱のトライアド完成です。
まあこれはAIに限った話ではなく、ふつうに絵を描いてる日もそうだが。time-consumingであることは前提として罪なのです。
いや、そうか? パルワールドを1日29時間やってた頃はそんな心持ちはなかったな……。狂えているかどうかか。

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