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谷川俊太郎の訃報以来何も手がついていない。彼は父親の谷川徹三が死んだ時「父が死んで、重圧がなくなった」と言っていた。私は彼が死んで逆に心が重くなった。
指標がなくなってしまったような心持ちである。彼はいったい何を指標に生きていたのだろう。晩年は「老人は諦めや絶望という感情を否定する必要がなく、なんでもありになっている」と自己分析していたが、なんでもありの世界でどうやって身軽に生きられたのだろう。
なんでもありは、怖い。それが人間の基本だ。だから何かを信じたり祈ったりするわけで。信頼できる存在に母親の如くあれはいい、これはだめ、と言ってもらった方がずっと楽なのだ。
もう彼が新たに道を教えてくれることはない。生き人はもう誰も信じられない。谷川さんだけが一度も私の心から外れなかった。養老先生も藤井風も星野源も私の心からいくつかの点で大きく外れたことがあるが、彼の言葉だけはしじゅう納得できた。
彼の脳にあった膨大な情報や記憶や想いが13日の一瞬にしてすべて失われたと思うとおそろしいし悲しい。世界に期待できるものが何も無い。
エルヴィン団長なしでこれからどうするつもりなんだよ……。
死を望まれているということに自覚的でありますでしょうか。
別に珍しいことじゃない。大抵の人は他人の死をぼんやりと望んでいる。なぜならそれがスペクタクルだから。古美門の言葉を借りるなら「己のつまらない人生の憂さ晴らし」のために。
誰にも死を望まれていない人間などいないだろう。誰かしらが今もあなたに死ねと思っている。ソーシャルメディア時代になってそれは昔より遥かにわかりやすくなった。
こんな世界で生きているのよ?俺等って。害人害己のルールに則って皆でどんどん不幸になっているだけなのに。
しかし己の不幸に他人を引きずり込む事で憂さ晴らししようとする行為と書くと醜悪で嫌悪感にあふれるが、「無敵の人」にはそうでもないのはなぜだろう。より具体的にいうと私はエージェント・ブラックakaマデリンが好きだが、彼女がやっていることは終始「己の不幸に他人を引きずり込む事で憂さ晴らししようとする行為」でしかない。
フォーカスの問題なんかな……言ってしまえば『ジョーカー』もそんな感じなわけで。
そういえばジョーカーのラストのことを三体IIのラストに喩えている人がいた。
社会の隅に追いやって後は放っておけば消えると思っていた奴らが有効な反撃を仕掛けてきて慌てるという構図。つまり無敵の人という言葉の裏には、彼を無敵の人に追いやった蒙昧なる大衆の存在が在るわけで、ワンピースにおいて天竜人が悪みたいなビューポイントになっているのと同じ理屈ではなかろうか。
「己の不幸に他人を引きずり込む事で憂さ晴らししようとする行為」というテキストには、その不幸が人災であるというコンテクストがないから醜く見えるのかもね。
三体の女性読者の少なくない人数がルオジーのことをキモいと言っていて女性を殲滅したくなりました。あんなかっこいい主人公いねぇだろ。この世で一番その侮蔑語から遠い存在だよ、逻辑は。ほんまにムカつく。面と向かって言われたら本気で殴ってしまうと思う。
昔実際にそういうデータを見た記憶があるけど、女って本当に、自分が興味のない存在や不快と思う存在への攻撃や、彼らの不幸や悲劇に対してなんの情感もないというか、「消えるのが当たり前」と半ば本気で思っていますよね。
社会の隅に追いやられた人間や、自分の価値観から見て美しくない・心地よくないものが存在していること自体に耐えられず、其れらを攻撃する行為は正当であり正義と思っている。
トラウデル・ユンゲの本でも見られた、極端な共感性というんですかね、女ってとにかく人間関係において0と100しかない。味方か敵しかいない。敵のゾーンに入ったものはいかなる形であれ抹殺する。
もうくどいほど引き合いに出したベンチマークですが、
世界一嫌いな人間と 世界一大事な人間を 一人しか救えない
だとしても迷うだろう そういうもんだ人として
女は――私がenvisionしている「女」というジェネラルな像は――ほんっとうに、これに対してこれっぽっちも共感できない。これ、私の辞書に書いてあります。「女」って引くと「amazarashiの『百年経ったら』をまったく理解できない方の性別」って書いてある。
そして私は「世界一嫌いな人間と 世界一大事な人間を 一人しか救えないとしても迷わない人」が大嫌いなので(なぜならひろむんがいうように、それは人非人であるため)、女がジェネラルに嫌いなんです。
女、という指示詞が巨大すぎるというのは百も承知ですしスウィーピングステートメントであり例外があることも知っているが、概してこういう人種であるというのはこれだけ長く生きればわかる。例えば女が「男って性欲のことしか考えてないよね」みたいなsweeping statementをカマしてきても、たとえ自分がそれに当てはまらずとも男性という存在の一般的な傾向がそうであるならば別に首肯しますし。もっというと「犯罪者って男ばっかりじゃん」って言われたら、それは少なくとも日本国においては統計的に事実なのでちゃんと首肯しますよ。「だから男ってみんな危険だわ」と発展されたら多少突っ込む隙も出来ますが、それでも含意として「統計的に男の犯罪率がはるかに高いから、男と接触する時の方が警戒したほうが良い」と言いたいのはわかりますので、それも納得いたしましょう。もちろん前述の方も、女性の検挙率が正当なのかとか、議論しようと思えばできるでしょうけども、それは客観的根拠に欠ける道筋になるでしょうし。
例外があるっていうのは前提であって、明示する必要性はないんですよ。「Cは積分定数とする」って毎回書かせるんかチミは。私だって好きな女性もいれば嫌いな男性もいるし、ヒトラーだってユダヤ人の友人がいた。(ゴドウィン点)
私は私が観測してきた女性から算出した女性の一般像で語ることしかできないし、結局それが感情に伏依するのだから、そのビゴトリーを通してでしか彼女らを見ることは出来ない。
誰がなんと言おうと、女は嫌いだ……(夏油)
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