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何回見ても””界隈””すぎて笑う。なんでこれで全く無関係なんだよ。
MHA終わったらしいしそろそろ読もうかな。僕ヒデって作品の根幹思想からして自分と全く合わない気がしてマジで一切を遠ざけて生きてきたんだけど、流石に読んだ方がいいか?ヒーロー養成が合わないってんならワンパンマンだって合わないはずだしなぁ。でもワンパンマンはおもろいわけで。
絵は悔しいけど抜群に良いんだよな。いったい何人の性癖を歪めてきたのやら。カエルみてーな子が好きです。
病院行くの嫌すぎて発狂しそう。病院自体も嫌なんだけど遠すぎる。何が悲しくてクソ遠い病院まで雨ン中自転車こいで電車乗り継いでバス乗って行かなあかんのや。誰か送り迎えしてくれーーー!!美緒48歳 配偶者 なし 子供 なし生活能力 なし……。
https://twitter.com/keeby_boy/status/1840205309136208102
自 自 自殺をする時わ~(^^)
体調終わり始めてから真剣に死に対する向き合い方を考えてきたけえど、自殺とそれ以外の死ってなんか決定的にカテゴリが違う気がするわ。よく考えたら当たり前なんだよな。誰よりも死に高速で向かっているはずの末期がん患者とかが、本当はもっと長く生きたいはずなのに一刻も早く死のうと自殺を望んだりするんだから。真っ当に考えれば矛盾してるんだけど、自殺とそれ以外の死の性質を完全に分けて考えれば話は通る。
そもそもこれらを同じ死という言葉で括ること自体かなり乱暴だと思っている。死の本質は生活の幽閉であって、自殺は本質にliberationを構える時点で真逆のものである。
幽閉、そう、幽閉だ。死の本来の姿というのは、まずここにある生活が次々と「狭まっていく」。当たり前だったものをひとつずつ諦めていく。円が少しずつ縮小して最後は点になって消えるような生活の摩耗が死の本来の姿。
自殺において生活円に変化はなく、ただ円の外に出るというだけ。つまり、はじめっから終わりまで「楽」なんだ。「楽」という言葉を選択することに最早ためらいもないよ。病死みたいな本来の死の姿と比べりゃ赤子みたいなものだ。人工養殖された死。ここでやっとわかるわけです。私が自殺を疎う理由は、猫も杓子も厨パばっか使う環境を嫌うような「楽で手早い解法への逆張り的抵抗」にすぎなかったと。楽で狡い手には嫉妬が集まる。だったらお前も厨パを使えばいいのに、の言葉を噛み殺しながら。
ああ、やっと電車に飛び込んで死ぬ人をみんなが罵る理由がわかった。「嫉妬」か……。生活保護受給者が叩かれるのとまったく同じ理屈だったのか。
イガサキさんが、「最近の若者がありがとうを言わない」とか「常識のない子が増えた」みたいな、道徳レベル1みたいな低次元の事柄でいまさら悩んでいてなんだかなあって思った。造作もないだろ全盛期のあなたなら。こんなスライム以下の道徳モンスターに苦戦するようなタマじゃないはずだ。
枯れていく人を見ると、道徳とは年老いるにつれて劣化していくものだということがよくわかる。どだい無理な話なんですよ、精神が成熟し続けるなんて。肉体でさえ一定をすぎれば退化の一途を辿っていくんだから精神も然り。そりゃ偏屈爺や婆が生まれるわな。これはもう誰が悪いとかじゃなくてそういう仕組みなんだと思います。
私が短く薄い人生経験から言えることは、生き人が語る思想なんて信じるなということだけだ。だって、あなたは彼ではないのだから。彼の変化にあなたはついていけない。鏡のように影のようにくっついて生きられないなら、いつか必ず切り離されて終わる。
BUMP藤原の天体観測の話を聞いて久々にそのことを思い出した。詳細を省くと、天体観測が売れすぎて逆張りで意地でもライブでやらないようにしてたんだけど、歳取ったら考え方変わって今はフツーに演奏してるしなんなら「天体観測を愛してくれてありがとう」みたいに言ってるくらい変わった、って話。
変化の正当性自体はどうでもよくて、生き人の主張や思想なんてこれくらいドラスティックに変わって誰もその責任を取らないよ、という話です。「天体観測をやらなかった時期」はかなり長かったし、その当時の藤原氏の中にはそれを正当化できるだけの強固な信念があったはずだし、インタビューとかでもそれを何度か語ったはず。その後あっさりやるようになったのは、本人の中では思想の変化があったろうし成長物語なのかもしれないけど、プロデューサーはじめ”それ”に振り回されて損害被った人も多くいるわけで。
藤原がどうとかじゃなくて、世界は”これ”で溢れているということが言いたい。生き人の思想なんて信じられないくらい大胆に変わる。そしてその責任は誰も取らない。変わることは罪ではないから。だから変わるものを変わらないもののように信仰していると振り落とされて痛い目を見るということ。
たとえば、まぁ現状の自分の中だとあり得ないとは思っているけど、私がいつか急に死刑大賛成派になるかも知れないわけじゃん。未来の変化なんて誰にもわからないから。そうなっても別に私はその変化に対して責任を持てないし、誰にも持てないわけです。明日から急にAIアートを弾圧し始めるかも知れないし、SNSで政治的主張を繰り返すモンスターになるかもしれないし、挙げ句全部忘れてまた生き直そうとするかもしれないし……。
だから「この人が言ってることだから」みたいなのは、特に多感な時期の生き人が発言者なら、本来成立しないんです。何故ならそのスピーカーは方正がガキ使でやってた謎のボドゲよりバランス不安定だから。あるいは発言に法的社会的責任が伴う立場の人間(e.g.政治家)なら話は別だけど。
今日話した自殺云々も明日には全部撤回してるかもしれない。この言論自体明日には忘れてるかも知れない。そんなことは”今の私”には知る由がないことだし、誰にも解らないことです。こんな不安定な世界だからこそ、しっかり握り締めるのはもう二度と変わらないものだけにしておけ。死人の言葉とか献身と愛とか。
伊勢田作品一挙放送をみんなと視聴した27時間を思い出す。夢のような時間でした。本当に。人生において「夢のような時間」と形容して差し支えないほどうつくしく素晴らしく素敵だった時間、子供の頃のディズニーランドの思い出と全伊勢田作品視聴の2つだけ。
もう、5年も前なんですね。今は……あの伊勢田先生ですらあのザマだ。すべては変わってしまった。

パーフェクトリリクス
ここ一週間ナツブラ80回以外で笑った記憶がない。ちなみにナツブラ80回では鈴田美夜子さんが急になんの脈絡もなくフ◯ラしはじめたところで爆笑した。

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