240920
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NotebookLMに自創作の資料集を突っ込むと色々捗る。用語集作ったりサマライズ作ったりが簡単にできる。間違ってることも結構あるけど。

批判めいたコメント来ると毎回これになるのやめたい。
論破することは簡単なんですよ。でもそうじゃないんだ。正しく在るより優しく在らなければ。シャンクスみたいに笑って見過ごしてやらねば。本当に大切な事以外は。
なんか最近精神がおかしい。今までもおかしくなることはあるにはあったけど、なんか、もっと分かりやすく壊れていた筈。明らかに気分が落ち込んだり、口が悪くなったり、ちょっとしたことでイライラしたり……でも今はそういうのでもなくて、そう、別人が私の身体に入り込んだような、寄生されているというか酷く酩酊しているというか、egoがegoでない感覚。それも自然なものではない。これって……糖質化!?
Elonaの作者もそうだったらしいよ。まぁ、なんでも、いいですけれど。どうなろうが知らねえよ、こんな男。俺のことより蝶や花を守ってやってくれ。
最近短歌モチベが高い。100個くらい作った。ちょこちょこと公開していきます。
短歌って、地味に趣味としてのコスパがだいぶよくないですか?まず、いちおう芸術品だし、CP(クリエイトポイント)が貯まるじゃん。創作者というのはしばらく創作をしないと発作が起きて死ぬ呪いに罹っているのでなにかしら創り続けないといけないんですが、その上でも短歌はそこまで時間かからない割に満足度が高くて良い。数が作れるし形に残るからね。
あとミニ日記みたいにも使える。日記を書くとなると、書くのも読み返すのも時間・労力ともに手間だけど、短歌なんて1秒で読めるしね。詠むのは1秒とはいかんが。大体はそのときの気分や感情をしたためられているので、下手な日記より当時の心情は分かりやすいかも。
狂四郎おもれ~。「それがお前の答えでいいんだな白鳥!!」のとことか。
ただひとつ不安なのは……。私は、廻狂四郎は最終的には死ぬべきだと思う。物語終了時に生存していてはならないと思う。べつにハッピーエンドを望んでいないわけじゃない。ただシノと二人で生き残って結婚して末永く幸せに暮らしました、みたいなのはダメだと思います。
なぜか、なんてことは解説するまでもなくほんへでわざわざ聖書を引用してまで示されてはいるのだが。
汝ら人を裁くな、汝が裁かれざらん為なり。己が裁きにて己も裁かれ、己がはかる量りにて己も量られるべし
狂四郎は、理由はどうあれ人を殺し続けた。何百人も、何千人も。そのうちすべてが正当な殺しだったとも思わない。このへんは犬が結構言ってるけど。
フィクションだからこそ、大量殺人者は最終的にはface consequencesすべきだと思います。これ前も言ったな。ルルーシュ、エレン、夜神月……。別に「幸せになるな」と言ってるわけじゃないからね。face consequencesした上で幸せになる方法はある。死は不幸ではないから。ルルーシュもエレンも別に不幸と絶望の中死んだわけではないでしょう。
まぁここまで言っといて何だけど、多分書いた通り普通に「シノと二人で生き残って結婚して末永く幸せに暮らしました」で終わる気がする。この作者の道徳レベルにそこまで期待していない。
寝落ちもちもちしよー笑
最近なんだかんだ毎日通話してる気がする。だのに全然トークスキルは上がらないどころかなんか如実に下がっている気がする。どういうことですか?
なんやろなぁ……。なんか、別にトークスキルとか無くてもよくね?みたいなとこに逆戻りしてしまった。会話っていうのは心と心のグラップリングであり、技術的手練手管をどうこうしても心が伴わなければ長期的に見て意味がないというか……。
ってなんとか言い訳の理論武装をしようとしましたが、セルフ論破されたのでやっぱダメです。でもキャリーされるのでよくないかっていうところはある。あと会話中に浮かぶことが終わってんだよな基本的に。これから私と会話する人間のために開示しておくと、私が通話中に考えることは:
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相手の発言に対するくだらないダジャレ、もしくは韻踏み
- 例:匿名ラジオでよく起きる「毒の水→毒水洋一」とか「言う始末→十四松→カラ松」みたいな連想ゲーム
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低俗なセクシャルハラスメント
- 例すらここでは書けないくらいに低俗
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自己批判・リアルタイム脳内反省会
- なんだその冷めた相槌は、もっと相手の話に関心を見せろや!話つなげる気あんのか!みたいな野党の野次が飛んでいる
これらすべてを毎秒モグラたたきのように押し潰しながらの対話なのですげーリソース食われてます。3番はともかく1・2番は対策がわからん。「思いつくのを止める」のは無理じゃないか?言うのを止めるなら理性でできるけど。職場の上司が歳を取るにつれてセクハラかパワハラでしかコミュニケーションができなくなってきたみたい話をしてて、それがよく解ってきた。なんなんでしょうね。どういう呪い?まぁシンプルに言えば高齢者になるほど若い子との共通の話題や価値観がなく、唯一なんらかのリアクションは期待できるであろうセクハラとかに頼るしか無いという悲しきモンスターなんでしょうけども。自分は別に共通の話題がないわけじゃ……いや……ないかもな……。なんだかんだ私と趣味が共通している人って実はかなり少ない。いるか?ていうか。生死と生活しかなくない?でも低俗な話で笑い合える関係というのに昔から憧憬がある。星野源の「くだらないの中に」的な。どんなことも笑いで済ませられるような。強固というよりしなやかな関係。衝撃に耐性があるのではなく互いに弛んで衝撃を逃がせるような。それでいうと実は私は対面ならかなり何言われても大丈夫です。フォスフォフィライトやエレン・イェーガーを侮辱する行為をのぞけば。
今やっと気づいたけど、最近なんか自分語りがやたらと多くないか。これが今ワガハイに起きている異常ですか?それとも前からこんなもんだっけ?
まぁ日記なんて自分語りしてナンボとは思うが……それだけ自意識が肥大化しているということなんでしょうか。自意識の炎症といった方が良いか。いずれ癒えるとは思いますが。やはり異常は青薔薇以降か……。人生でかけられたこともないような言葉を沢山かけられたし、したことがないようなことをたくさんした。あんなことがあってはインド旅行帰りの大学生くらいには自意識が炎症しても仕方がないね。
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