240901
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飢えながら生きてきた人よ
私を拷問するがいい
私はいつも満腹して生きてきて
今もげっぷしている
谷川俊太郎 鳥羽3
道徳、これだけでいい。これ以外の道徳律は全部嘘です。インターネットに跋扈する何者も信じてはならない。Xの流言飛語に惑わされないで。「飢えながら生きてきた人よ 私を拷問するがいい」に共感できる人間だけが真の善性を携えた者たちです。以上。

鳥羽3ってソーシャルメディアの真逆だと思う。「私はせめて愛を毀損したい」だろ、ソーシャルメディアのコアって。

2chで「祭り」が起きた時、よくこのコピペが貼られていた。2chが終わっても、5chになっても、あるいはソーシャルメディアが普及しても、いつだっておんなじです。人間のベースラインはここである。そこがスタート地点。そのうえで、お前はどうする?ということを絶えず自身に問い続けなければならない。それが道徳です。
また、真逆といったがそれは北極と南極のような距離ではなくコインの表裏ほどのものかもしれない。上のdisgustingなコピペ、げに注目していただきたいのは最後の部分です。「俺はただ生きる活力が欲しいだけ。」その他すべての行いは樹木の枝であり、地に這った根は”ここ”にある。そうして誰もがそうである。アア哀しいね……。

そんなふうにして思いやっていくしかないと思います。人と人は。
ナツブラ16回、西園美魚役の人が思わず表名義言いそうになったのメチャクチャおもろかった。
藍のインターネット史 後編
どうもこんにちはー
藍のインターネットの歴史を小学生でも分かるように説明する試みです。
前回なんか病んでインターネットやめた感じになったんですが、
音ゲーの引退宣言のごとく秒で復帰しました。
このときAが名乗ったハンドルネームが「藍」です。
以後Aは藍として生き続けることになります。
この頃Aに強い影響を与えた人物が3人いました。
ひとりは「kentz1」です。
https://twitter.com/kentz1/status/711087027593175040
kentz1はTwitterで今でいう恐山みたいなことばっか呟いてたヤツで、
冷笑主義の興りみたいな存在なんですが東大生+英語ペラペラ+めちゃくちゃ学があるということで
知的好奇心の奴隷と化していたAは秒で彼のスタイルに惚れ込みました。
そして明らかな模倣を始めました。
次に影響を与えたのが、pixiv id 53928です。
53928はオリキャラを描いている人で、B編と同じような流れで彼の絵に惚れ込みました。
そしてこれまた露骨な模倣を始めました。
この頃の熱意はすごく、彼の絵を一から色塗りまで全模写するのを90枚ぶんくらいやりました。
彼の絵は書き込みが異常に多い(特に初期の絵)ので一枚うつすだけでも大変なんですが、
この頃は彼を模倣することこそが絵の真理だと信じて疑っていませんでした。
最後が、米津玄師です。
この頃、はじめて「音楽」というものに興味を持ち始めます。
昔からボカロとかは全然聴いてたんですが、ボカロ以外の音楽を音楽として消費し始めたのは
米津玄師の「ゴーゴー幽霊船」を聴いてからでした。
ハチの頃から好きで、なんならうごメモでパンダヒーローのPV描いたりまでしてたんですが、
ハチ=米津玄師と知ったのはこのタイミングでした。YANKEEが出たのとほぼ同時期です。
そんな感じで畑の違う3人がAに影響を与えまくる謎のフォーメーションになったんですが、
米津玄師つながりで新しく親しくなった人がいました。
これが「R」です。
とことんまで趣味・考え方が合うということで爆速で親しくなり、
なんなら互いの本名を知ってたりお互いの歌を聴かせ合ったりほぼ二人しかいない鍵垢でつながったりとヤバめの感じになってました。
ただ盛者必衰ということでこれも色々ゴタゴタやった挙げ句相互ブロックみたいな感じになりました。
それから数年後、今度はR側が謎の勇気でコンタクトをとってきた
なんか関係がリストアされた感じになって落ち着きました。
そんな感じで相変わらずグダグダやってたんですが、
この頃Aの中でぷよぷよガチ対戦全盛期みたいな感じになっており、
生まれてはじめてのオフ大会に参加します。
名古屋にある(今は潰れてる)ゲームボックスQ2というゲーセンで
ぷよぷよ通の大会があり、一部有名選手も参加するということで
Aは思い切って参戦しました。
ちなみにこのときのメンバーには今は亡きあかじこうさんもいました。
結果からいうと戦績はボロボロなうえコミュ障が発動してグッチャグチャになり、
色々なコンプレックスが重なって散々な感じだったんですが、
このときはじめて数人の「フォロワーの顔を知る」ということが起きました。
そのうちのひとりが「a」です。
aはぷよサーの姫的な感じで一部からカルト的人気があったりなかったりしたんですが、
なんかこの人とも微妙に仲良くなったりならなかったり通話ぷよをしたりしなかったりしました。
その後色々ゴタゴタあって、aは他の人からセクハラ受けまくったり色々あって病んで引退しました。
と思ったらいきなり鍵垢からDMで「aです~」みたいな感じの連絡がきて、
A含め数人だけが転生aのアカウントに招待されたっぽく謎に繋がれたりしました。
一応このアカウントは今も生きてるんですが、
建築デザイナーの大学に進学してからは地獄みたいな忙しさだったらしく、
仕事に就いてからも地獄の地獄みたいに忙しいらしく
ひたすら愚痴と絶望だけを数ヶ月に何回か吐き出すみたいな地獄になってしまいました。
そんな感じで出会ったり別れたりポケッたりモンスターりグチャグチャやってたんですが、
この頃決定的にAの人生を変える出会いが起こります。
これが「2号兄貴」です。
Rの影響もあり、米津玄師やヒトリエといったバンド・ミュージックにしか興味がなかったAは、
およそはじめて最高の電子音楽に触れ魅了されました。
この頃は当然「界隈」なんてものもないくらい昔だったし、
なんならK4号のライブラリがまだ普通に公開されてた頃なんですが、
とにかく2号やらニシキガツオやら夢中になって聴きまくったり遊びまくったりしました。
Aは言いました。
「2号兄貴の音楽いいなあ~ 自分もこんな音楽やりてえなあ」
Aは2号兄貴の曲を耳コピしたり、それっぽい曲を作ったりして遊びました。
(Aはおそらく人類で初めてこの遊び方をしだした人です。)
それからなんやかんやあって兄貴がいなくなったり信者たちが微妙に荒れ始めたり
ギスってきてたんですが、そんな感じのノリにウンザリしたAは言いました。
「このモヤモヤを曲に変えたいなあ」
これが、「墓前」です。
結果これがそこそこウケたりウケなかったりし、
今はニーディーガールのMVやらなんやらで有名なこかむも先生にやたら気に入られたり墓前や開戦のファンアート描かれたりして、
なんとなく「絵の人」から「音楽の人」へのシフトが起こり始める感じになりました。
これが2017年あたりまでのAの歴史です。
ここから先はビックリするくらい出会いも別れもない、昔の再上映みたいな日々だけが続き2024年に至りました。
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