231018
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https://omocoro.jp/kiji/396963/2/
隊員「艦長、射程圏内に目標を補足。攻撃態勢に移行しますか?」
艦長「……正しいことをする、か……」
隊員「なにか?」
艦長「いや、昔のことを少し思い出していてね。総員待機、このまま少し様子を見よう」
隊員「ラジャー」
このくだり絶対原宿さんが書いただろ。「……正しいことをする、か……」好きだな~。一言で後ろにあるドラマが透けて見える感じが。
ある程度長い間付き合ってた人同士が別れることを「失恋」と表現するの、すごく違和感がある。もう恋じゃないだろそれ。「失愛」の方が正しいのではなくて?告白が成功することを「恋が実る」と表現するじゃん。つまり付き合い始めた時点で既に恋は死んでいるのよ。死んだ物は失われない。告白が失敗したり、あるいは告白する前に彼氏/彼女がいるのを見てしまった、みたいな時のみ「失恋」と呼ぶべき。
いちご100%のこと以外書くこと一個もない。寝ても覚めても東城綾のことばかり。
<いちご100%のネタバレあり>
読み返していたんですけど、東城がチャンスを逃し続けてきたのは自明だが完全に取り返しがつかなくなった瞬間が明確にあった。最後のチャンス。それは15巻のラストです。
「あたし、真中くんに言わなきゃいけないことがあるの……!」
この直前、東城は外村美鈴に発破をかけられている。想いを告白するべきだと。そしておそらく東城もそのつもりでこう切り出したはず。しかし勇気が出ずに大学の話に逃げたのだ。
ここです。この瞬間敗北が確定した。ここで伝えられていれば、今までの全ての疑問手を帳消しにして見事に真中と結ばれたはず。そのチャンスをみすみす手放した。その結果がこれ。
正確には、まだ映画のラストシーンで真中の名前を呼んで告白してれば取り返せたと思うけど、あそこで告白できなかったらここでも出来ないでしょうね。
https://note.com/aon_silhouette/n/n6aee38ad2204
『いちご100%』が描いている素直なことは、西野の視点から整理すると「動けば運命を変えることができるということ」、東城の視点から整理すると「動かなければ運命でさえ変わってしまうということ」です。
ほんとに、そうですよね。いちご100%は運命の物語。出会いで、1508で、運命づけられていたエンディングを西野は変えたのだ。1508番を破り捨てるシーン正直好きなんですよね。「運命に反る」瞬間。
ただやっぱり物語として見るならいいんだけど、まんがっていうのは人造のお話ですから、その外枠の神の存在を考えた時に「東城が長らく告白できなかった」というのもまた作者によって導かれた「運命」に過ぎない、と考えると、結局鳥籠だよな。そのフラクタル構造含めて、どこまでも『運命』の物語であったと思う。
西野つかさというキャラクターはfate breakerとして存在している。彼女の役目は「運命を変える」という一点で、真中と東城の物語に最もドラマティックなピリオドを打つために天から召喚された。真中にとってだけではなく、東城にとっても西野という存在はまた『運命』であり、試練だったのだと思う。
読者人気に従って変わった結末、試練に勝てなかった東城、諸々含めて運命に左右され続けたbittersweetな物語。人気という外枠の「運命」「神の手」が介在することにより、すべてが予定調和で造られるはずのフィクション作品が「不条理」によってその結末を変更されるという現実でしか起きない要素を取り込んだ。フィクションにしてノンフィクション性(リアリスティックさ)を持ち合わせた傑作なのではないでしょうか。今ではそう思える。
いちご100%。支離滅裂な物語だったが、「恋愛の不条理」「動かなければ運命でさえ変わってしまう」というふたつのテーマを軸に考えるとすごく美しい物語のようにも思える。「真実」はノリと思いつきでキャラクターを振り回しただけの話なんだと思うけど、私は「真実」を超えて解釈したい。
本作の手放しで褒められる所のひとつは、線として見ればぐちゃぐちゃの話でも点で見ていくとすごくシネマティックできれいなんですよね。カットシーンの描写が抜群に上手い。「西野とまたつきあってるんだ」のとこの、東城の顔→映画の「好き!ずっとずっと好き……」のオーバーラップとか。映画のワンシーンのような描写が上手い。今まで出した要素を舞台装置として再利用できる技巧がある。特に終盤はその辺の技術が卓越してたような気がした。
負け犬らしく言い訳を考えると、東城と真中ってやっぱり結婚まで見た時の相手としてはベストペアではなかったのかもしれない。青春期に付き合う分にはベストマッチだと思うんだけど、大人になってからの酸いも甘いも噛み分けた味のある付き合いまで視野に入れると西野と一緒にいたほうが互いに成長しあえそう。東城と真中だとなんか、いつまでも気を遣う関係になりそうじゃない?東城は真中に弱みを見せようとしなかったし。大人になって距離が縮まりそうなのは西野なのかもしれない。子供ができたときの子育てとかまで考えるとどっちも良さそうだけどな。
そもそも別に真中と西野も結婚まで描かれたわけじゃないしね。しばらく一人旅してたっぽいし。でも最終話って24歳くらいの話だっけ?高校卒業から5~6年後って書いてあった気がするから。じゃあまあ……うん……。よし、この話はやめよう。やめやめ!East Side Storyのせいでif妄想すら潰してきてるのほんま。
ものすごく乱雑にまとめると、『いちご100%』のテーマは『うさぎと亀』に等しい。絶対的優位さえもそこに甘えていれば覆る。絶対的不利さえも全力で立ち向かえば超える事ができる。
だからこそ、終始言ってるんだけど、北小路さつきというキャラクターの存在意義がお色気確保以外になかったなと思う。むしろテーマのノイズになっている。それは北小路に限らず他のすべてのサブヒロインも同じだが。唯もいちおう東西南北の一角みたいな扱いになってるけど、作中の描写的には正直スタートラインにすら立っていなかったように思える。
北小路は運命に勝とうとあがいて負けている。東城と違い、そこになんの責もない。
強いて云えばパワープレイに頼りすぎたくらいだけど、いずれにしても彼女がいなくても話はなんら問題なく進行した。特に西野とさつきなんかほぼ関わりないしな最後まで。
北小路はただ理不尽に負けただけだ。そしてはじめからそのために作られた。向井こずえと同じ。それも恋愛の不条理だというのなら漫画じゃなくてドラマでも撮っていてほしい。
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