20231212
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Windowsのファイラーが日に日に使いづらくなるのでFilesへの移行を少し考えてる。だいぶ前試して、デフォルトファイラーより重いから結局やめたんだけど改善されたかしら。重いのさえ抜きにすればデザインもクールだし多機能で便利なんだが。
重いようならAs/Rというやつも試してみるか。とにかくデフォルトファイラーがいよいよもって使いづらすぎる。
Obsidianプラグインは要らない。互換強度が下がるから。(阿良々木並感)
特殊な記法(dataviewやObsidian式calloutなど)をテキストファイル内に埋め込めば埋め込むほど、マークダウンファイルとしての他ソフトとの互換性が下がるので、Obsidianから別のソフトに移行するハードルが上がる。意志に反して繋ぎ止められる鎖になる。
外見上の奢侈に溺れるObsidianコミュニティを見ていると、彼らの足には鎖がもうガチガチに巻き付けられているのだろうなと思う。足枷はいずれ個人の意志そのものを歪めていく。酸っぱい葡萄や奴隷の鎖自慢と似たようなメソッドで、「逃げられない」のを「逃げるつもりはない」とコーピングしていくのだ。
必ずしもそれが悪いわけではないが……。置かれた場所で咲くというよりは、ひとまず居心地がいい場所の土に自分の足をコンクリで固めて動けなくしている感じだ。いずれ心変わりして去りたくなってももう出られない。家を買うのと少し似ている。
私はいつでも逃走準備をしている。この足を重くするリスクは背負わない。noteに記事を上げるときも必ずローカルに先に書いてそれを転記している。noteが潰れて全部お釈迦になるなんてごめんですから。
https://anond.hatelabo.jp/20190316041332
最高のエッセイ。文章力あるな~。
ところで、私は「文章力」という言葉はだいぶ欠陥だと思っている。文章と一口に言っても、小説から自伝から広告記事からロールプレイから色々あるわけで。それらすべてを満遍なく書ける人ってまずいないと思うけど。つまり、広義的過ぎる。せめて地の文メインか否かくらいで分けてパラメータ付けした方がいい気がする。
クラウドソーシングは……いいかな。昔試していた時期もあるが。先日あんな記事を上げといて何だが、得る金以上に魂が穢れる気がする。明け渡してはいけないものを明け渡してしまう感じがあった。
魂でいえば、この前まさしくそんな例があった。睡眠用に耳栓を買ったのだけど、結構値が張り、しかしレビューが好評だったのでまぁ大丈夫だろうと安易に購入したが運の尽き。てんで効かない。2000円以上したのに、既に持っていた100円の耳栓よりまるで効かない。これがARuFaの提言を無視した罰だというのか。そもそもなぜこんな性能でこんな高評価レビューがついてるんだ。と思い封をあけると、以下のようなカードが挟まれていた。
「星5評価をつけてくれたら、商品注文IDとレビューのスクショをLINEで送ってくれたら1000円アマギフ差し上げます!→QRコード」
ああ、なるほど。”これ”がトリックか。何千何万という人間が、”これ”のために星を5つ明け渡したのだ。魂と引き換えに。
案の定のメイドインチャイナであった。メイドインチャイナがすべて悪いと言うつもりはないが、なんというか……本当に良くも悪くもこういう所がある。
さて問題は、私がこの橋に乗るかどうかということである。既に何千人もの人間が乗った事は分かっている。また金を貰うことで与えられた粗悪な製品へのせめてもの慰みになるかもしれない。
しかし、私の目にはたしかに見える。ほんの少しだが、この製品に星1を叩き込んだ黄金の精神を持つ人々の姿が。いまこそ魂を尊ぶときである。
心を持つ人間を力だけで動かせると思わないで!!! あまり人間をなめるんじゃないわよ!!!
https://www.youtube.com/watch?v=cZFPVAOrdXQ
久々に聴くEternal blazeの威力。原宿です。(オモコロウォッチの存在しないイントロ)
Eternal blazeなんてさ。うごメモで手書きで完全再現したもんね。バリバリの音質をマイクで録ってよ。コマ送りしながら必死に描いたっけな。
三期の話だけど、ヴィータが貫かれるシーンはトラウマ。15年以上前に観たきりなのにまだ焼き付いている。あれ以来5年ほどグロがダメになり日常系しか観てなかった。愚かでそして美しい思い出たち。
たとえば私は家族関係は冷え切っているのでその点では”持たざる者”だが、一方で私はアレルギーをひとつも持っていないからこの点では”持つ者”側になる。私はアレルギーで苦しんでいる人に言及できることも、その権利もひとつもない。こういうboundaryを見極められず過干渉してしまう人がわりあいに多い。自分が他人を救えると驕傲になっている。同様の苦しみを味わったことがない人は他人の問題解決をしようとせずに理解を示すことに全霊注いだ方がいいと思う。理解を示すというのは、君の気持ちはわかるよ、なんてチープな表明ではなく、谷川俊太郎がしたようなstrongな宣誓である。
餓えながら生きてきた人よ
私を拷問するがいい
私はいつも満腹して生きてきて
今もげっぷしている
私はせめて憎しみに価いしたい
『鳥羽 3』
これは「飢えながら生きてきた持たざる者」へ、持つ側からの「理解を示す」言葉である。共感っていうのはこういうことですよ。ここまで出来なければ似非だ。
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