20231204
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浅野いにお/syrup16g/serial experiments lain みたいな感じの人間がわりあい苦手です。
なぜ苦手かというと、ほとんどクローンだから。みな全く同じ色をしていて、全く同じ感情や言葉を吐く。人間としての差異を感じられないし、昨日の記事のように差異を作るよりむしろ埋める方向で一致団結しているように見えて気持ちが悪い。
浅野いにおはターゲットがアホほど狭い。元巨人のドミンゴ・マルティネスのミートくらい狭い。ずばり18〜24歳くらいの陰の者、サブカル好き、なかでも自己承認が強く、美術や音楽への興味が深い。そんな狭き門をくぐり抜けたエリートだけが、あの退廃的で無気力な若者のストーリーに共感し、憧れを抱きながら闇に引きずられていくわけだ。これは灘高並みの難関で、ある種持って生まれた才能が必要になる。
https://note.com/jusho/n/n9c47a494709b
とあるが、このミートははっきり言ってそんなに狭くない。「18〜24歳くらいの陰の者、サブカル好き、なかでも自己承認(欲求)が強く、美術や音楽への興味が深い」ってインターネットの10割だろ。この門は長崎ウエスレヤン大学の門よりガバガバです。
人はなぜ誰かに成り代わろうとするのだろう。思えば今に始まったことではない。ものまね芸人だって根本は同じだ。否、質問を変える必要があるでしょう……「なぜ我々は『誰かの成り代わり』を求めるのか?」。ものまね芸人がウケるのも、模倣界隈とやらが生まれたのも、人が成り代わりを求めたからだ。結局唯一無二の個性なんて誰も興味がなくて、美味なものを少しだけ味変えしてコピーしまくってもらうのが一番良いということになっている。
ならばその終着点はAIによるアートの支配じゃあないんでしょうか。ここがなんだか世間で二律背反じみているのが納得できない。consistentならいいんですよ。世間がぜんたいとしてAI万歳な上で上記のような現象が起きているとか、AI反対の機運が強く且つ唯一無二の個性が重視されているならよい。しかし私の目には現実はチグハグに見える。「個性」なんて本当はどうだっていい癖に、AIによる模倣を略奪と捉えるのはとてもillogicalに思えてならない。
もっとも私も私で統一性は取れていないが……(AI賛成+唯一無二の個性を重視)。
そもそも殆どの人間がアートをクロノジカルに消費しない時点で、模倣だとかパクリだとかいう概念自体がナンセンスな気もする。ドラゴンボールを西遊記のパクリと言う人間はいまい。感覚的にも法的にも、時間的距離は「パクリ性」みたいなものを明確に曖昧にしていく。二世紀も離れていれば、ほぼそのままお話を取ってきてもまず誰にも糾弾されない。「リファレンス」とか「モチーフ」と呼ばれるだけである。
よくこの手の問題に「お気持ち」という言葉が持ち出されるが、実際の所まさしくこれは人間の気持ちの問題なのだ。さもなくば時間的距離が静的な芸術の価値を左右するはずがない。作品が過去にさかのぼればさかのぼるほど、その作品に個人的に関係している人は少なくなる。つまり、千年前の詩を真似ても、誰のおばあちゃんも怒らないが、去年書かれたものを真似たら怒るかもしれない。
要するに私が言いたいのは……著作権という存在をずっと疎ましく思っているということです。無責任な割に権限が大きすぎて法律として限りなく失敗に近い。お気持ちの問題を文章で規定出来るはずがないのだ。ではどうするべきだったのか?逆のことが行われるべきだったのです。
ぼくがかんがえたさいきょうのニュー著作権はこう。
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著作者は、作品を創って公開した時点から著作権を設定することができる。(自動的に発生はしない)
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著作権は作品ごとに設定される。
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著作権は、国のウェブサイトで一括管理されている。
- 他人の著作物を使用したい人はここにアクセスし、望みの作品を検索するだけで簡単にレギュレーションが確認でき、使用権の申請も電子マネーやカードで容易に行うことができる。
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著作者は、作品に対して以下2つの要素を明確に規定し、国に提出する。
- 「これだけの額を払えばこれだけのUseができるよ」
- 「以下の要素が被っていたら本作品の著作権に接触するものとみなすよ」
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法外な設定でないことを国が確認し、承認された時点から(既に作品が公開されていれば)施行される。
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著作者は、自身が設定した作品使用額に比例して「著作権保持料」を年ごとに払う必要がある。
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一度規定した「著作権使用レギュレーション」は、規定時から最低六ヶ月は変更できない。また変更する際には多額の料金を必要とする+再審査が行われ、承認された場合も再度六ヶ月の制限がかかる。
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著作者の死後すぐ、全ての著作権は消滅し、国によってパブリックドメインとして公開される。
- これを避けたい場合には生前に多額を払い、「死後著作権」の年数の設定が出来るが、最大50年までとする。
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著作者が著作権の申請を行っていない作品に関しては、どのように使用しても罪に問われない。(=著作権が発生しない)
この規定のもっとも優れているところは、「何を以てして作品の著作権に接触するか」というのを著作者自身が作品ごとに規定出来ること。現行法で最も含糊な部分が解決する。
無論、法外な設定をされないように国や有識者による審査を通す。これも結構大事で、現行法だと著作権は自動発生するので裁判沙汰になってやっと「これ本当に著作権違反か?/原告の主張はいきすぎていないか?」というのが判定される。この問題は解決されるべきである。
簡単なアートなら深層学習による類似度比較なども役立つだろう。
というわけで、これを見てる偉い人がいたら何か権限使って全世界に適応してください、これを。絶対にもっといい世界になるから。ならなかったら樹の下に埋めてもらっても構わないよ。
本日のハッピーラボですが、現代科学のものすごくざっくらばんな結論は以下のようになるらしい。
・日常生活に支障をきたすレベルに貧乏でない限りは、それ以上の(贅沢品のための)お金は我々を幸せにしない
・幸福にもっとも寄与するのは「健康的で良好な人間関係」である。人間関係の”数”は問題ではなく、”質”が問題
・次いで影響力が大きいのは「感謝の気持ちを持つこと」である。マインドフルネス・運動・自然への露出などと比べて「感謝」が示す効果は質の高い多くの論文によってバックアップされている
・睡眠と憂鬱感はbidirectional(双方向的)であり、良質な睡眠を達成すれば憂鬱感を減少させられる
要するに(ソーシャルメディア上ではない)人間関係が一番大切らしいんですけど……酷な答えですね。自分の力だけじゃどうしようもないやつじゃん。「ゴローニャに進化させるには通信交換が必要」並の絶望があるよ。
でも、目の前のこれを読んでいるあなたに感謝の気持ちを向けることはできるかもしれませんね。取り留めのない日記をいつも読んでくれてありがとう。物言わずとも感謝しています。
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