洒落にもならない
この記事を閲覧するにはアカウントが必要です。
10:40 起床
10:40-11:00 朝食
11:10-12:10 ランクマ
12:30-13:30 お絵描き
13:30-14:40 お散歩
14:40-15:00 ブログ執筆
15:00-15:30 昼食
15:30-16:30 ブログ執筆
よくわかった。ブログやめちまえ!!!
サイクリングという趣味、心身ともにあまりに健康的そうなのに、実際にロードバイク歴ウン年とかの人々の様子を見ると、撮り鉄と政治屋の嫌な所の煮凝りのような人間が多いのは一体どういうことなの。趣味としての自転車乗りで心が健康そうな奴を見たことがない。バイカーのがまだマシなくらい。
単純に高齢者が多いという仮説はあります。ちょうど人間が一番どうしようもない時期の年齢層の人間が多い説。バイク乗りはもうちょい若くても結構いるしな。
Grokとかいう眉唾のAIが獲ってきた2021年日本自転車振興会調査のソースによると:
- 9歳以下: 3.6%
- 10代: 11.8%
- 20代: 7.4%
- 30代: 7.9%
- 40代: 15.8%
- 50代: 24.0%
- 60代: 18.1%
- 70歳以上: 11.4%
らしい。そりゃ地獄にもなるという気はしますが……。
いろいろな趣味のコミュニティを見てきたが、明確に人格が破綻している人間の割合が多いと感ぜられたのは「特撮」「ロードバイク」くらい。人工言語・TPRG(特に人狼)・ドールもおかしな人間が多いが、なんでしょうね、必ずしもtoxicなおかしさではないことが多い。「変人」と「嫌な奴」は違うからね。「特撮」「ロードバイク」は明確に「嫌な奴」が多いです。むしろこれらは「変人」ではないことが多く、ゆえにタチが悪い。
割合が多いだけで、全員がそうというわけではもちろんないけどね。ただそんな理論がいつまで意味を成すのかと思う。あなたは人食い族が人口の5%いる村に移住したいですか?
頭の中に一つの着想──大胆で重要だと確信する音楽的着想──がありながら、それを定着させることができない。それが彼を全くの絶望に陥れた。
アドルフ、君と僕は同じ未来を見ている。
アドルフが生きていたら生成AIに賛成しただろうか。これはなかなか難しい問題ですよ。素人がワーグナーのリップオフを生成し始めるようになったら憤慨どころの騒ぎじゃないという意味では反対派な気もするし、Wieland編で見られるような、頭で思い描いた図面を形にする過程を極限まで短縮できる技術としては心服するかもしれない。電撃戦の時といい、基本的には自分で目につけた新鋭技術には開放的な方ですからね。
ルンペン時代には「小さい油絵を描き、それをテンピであぶってくすんだ時代をつけ、昔の名画というふれこみで、商売人にうまく売りつけ」て口を糊していたころもあたようだし、あんがい頓着しないかもしれない。
アドルフの「摂理」の概念に興味がある。最近ようやくわかったこととして、わたしは自然主義者や汎神論者にとにかく惹かれやすい。摂理の概念は谷川俊太郎フレームワークにかなり近しい。
ただアドルフが摂理というのに妄執しだしたのがいつ頃かがよくわかってないんですよね。後年になるにつれてそうなったのは違いなさそうだが、幼少期(グストル編~WWIあたり)においてもそうだったのかが気になる。『我が闘争』には既に書かれているから、摂理という直接的な言葉が使われずとも「使命」という感覚が当時からあったのか否か。つまりfeeling of chosen。
conceitはもちろんあったと思うが、look, we all had it in our youth。どこにでもいる「自惚れ屋の少年」を逸脱してまでの使命への妄執があったとは思えない。発芽する機会があったとすればやはり第一次世界大戦か。ルンペンだったアドルフの人生を変えた突如の出来事であった。
しかし要するにフロック・フォルスター状態ですよね。摂理はサバイバーギルトの変形なんじゃないか。みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかった……その法則からアドルフ自身も逃れられなかったというだけのことかもしれない。皮肉にも彼を殺したのもまた摂理だったわけです。
彼は間違いなくchosenではあった。が、chosenでない方が良かったでしょう、きっと。これはchosenであるあらゆる人物に言えると思います。

選ばれることで幸福になった者無し。そんな力を持ってしまった人間は不幸だ。
記事の感想を伝えられます。
感想レターを書く
定型文を選択
スタンプを選択