小説の書き方について考える裏切り者のアフターケア
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ジョー・力一の配信で「味方に戻ってきても許せる裏切り者とはどのレベルか?」みたいな話題があった。
力一もずいぶん悩んでいて、匙加減が本当に難しいというような話をしていたけど……作家としては、やはり規定し得ないものだと思う。読者によるとしか。
だからこの場合、読者に許してもらうためにどうするか、というよりは、読者が許せなかった場合のアフターケアを考えるべきだと思う。
裏切り者が味方に戻ってきます。読者は「あんな悪行をしていたヤツがなんで平然と戻ってきてんの?」「なんで主人公たちはあっさり許してんの?」というストレスを抱えることになる。このうち問題なのはむしろ後者なのです。前者は筋書きが決まっている以上対処が難しいけど、後者はアフターケアでどうにかできるはず。
やり方は簡単です。「許さないキャラ」を主人公陣営に最低一人置きましょう。「あたしはアンタのこと、許してないから」みたいな態度の奴。もっと熾烈に責めても良い。これがあるかないかでまったく変わる。なぜならこの手の齟齬によるストレスは最終的に「作者は何を考えてるんだ?」というところに行き着くからです。ヒロアカのアレとかわかりやすいが。作中に誰一人として裏切り者の悪行を責める人間がいなかったら、「作者は本気でコイツを許すべきと思っているのか?」「作者には倫理観はないのか?」という人格への疑念にまで発展する。なので申し訳程度であっても本質を突いた非難を行うキャラが一人いれば、「ああ、作者はわかっててやってるんだな」という理解が得られる。
もちろん、素直に許す側の主人公に共感している読者にとっては、味方に戻ってきた裏切り者をいつまでも責め立てるキャラというのはうざったく見えます。ヘイトを集めます。でもいいんです、別に集めても。物語の目的は「誰も嫌われないこと」ではないから。キャラは嫌われたっていい、「読者が誰にも共感できない」のがまずい。裏切り者の帰還をすべてのキャラが全肯定してしまうと、読者が誰にも共感できなくなる。好き嫌い以前の問題として。
裏切り者とはちょっと違うけど、「読者が誰にも共感できない」状況を回避する技術として実際の作品でわかりやすい例だと、エルヴィン死亡周辺のフロックとかですかね。「アルミンが死ぬべきだった」というのは、今まで物語を追っていた読者からするとラディカルな発言で、ゆえにフロックは多くの読者からヘイトを集めたのだけど、逆にフロックに同調する読者もいたわけです。よく言ったと。作中でもアルミンが「フロックが正しい」と言っている。フロックが居るかどうかっていうのは非常に重要だったんです。彼がいないときの寒々しさを考えてみよ。誰もリヴァイの判断を責めず、アルミン帰還hooray一色だったら。気色悪くて仕方があるまい。まぁかといってエルヴィンに寄りすぎても問題なので、進撃はとてもうまい落とし所を作っています。この辺は繊細な表現力が求められる。
私も…エルヴィンに打つべきだと思ったよ
しかしエルヴィンが注射を託したのはリヴァイであり、そのリヴァイは君を選んだ
それならもう何も言うまい
ハンジ・ゾエ
けっきょくリヴァイの判断の肯定で終わっているのだけど、言葉にはそれでは割り切れない感情が滲み出ている。かなり巧い書き方。これなら両方の読者にそれなりの共感を取り持てる。
そもそも多くの読者は許す/許さないの二元論ではなく双方をグラデーションで併せ持っているので、まさにこういう対応が理想なんだけど、ちょっと技術的に上級すぎるかな。フロックがいなけりゃハンジもわざわざこんなこと言わなかっただろうし。
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