変わらぬ自分
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我は俗の俗
俗極まれば仙となるべし
我は, 川上澄生
そんな感じでやっていきたい。
2016藍と2026藍では人が変わってしまったと思うかもしれないが、実は本質は変わってないということに今日やっと気づいた。
藍という存在は、「どうすればより優しくなれるか」をずっと追求しているのです。
2010年後半~2022年あたりまでの自分は、「弱い物語」を肯定することで誰かの力になれると思っていた。
抱き抱えたもの手放したもの 覚えているか
心の中 癒えることのない傷ばかりが増えていった
零れ落ちてゆく 終わり告げゆく砂時計の中で
何かを残したいと 願うその弱さこそ美しい
開戦
で、nowの藍は、「強い物語・弱い物語」という属性自体を否定することに躍起にやっているわけです。つまり脱物語。弱い物語を肯定するより、物語そのものを否定した方が優しいのではないか?と考えたわけですね。
これは「生きてるだけで偉い / 偉くなくても良い」の対立にも似ています。
「生きてるだけで偉い」という一見全肯定に思える念仏は、結局のところ「偉い-偉くない」という価値観の再生産に与することに他ならないのだから、本来は「偉くなくてもいい」と言ってやるべきだみたいなことをnoteに書いたら、「みんな偉いんですよ!」と怒られてしまった。おれの方が優しいのに……
— finto (@finto__) January 18, 2022
つまり手段が変わっただけで、本質は変わりません。どうにかして優しくなろうとしています。ずっと。
その中でどう在る事が本当に優しいのかは、迷いながら探すしかないですね。
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