ナターシャ
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「職員室ってこんな涼しいんすね~」然り、こういうのに弱い。
FFFのヒロインストーリーズ読み終わった。正直メチャクチャ良かったです。TINGSより断然推せるなFFF。
面白いことが現れるまで人生を「流し」でやっていくことを決定しました。こうなると流し方を考えなければならない。大望を捨ててむしろプロダクティブになるかも知れん。
[!quote]
伊藤 どうやって時間を過ごされるんですか。谷川 やっぱり年の功だと思うんだけど、なんにもしないでいられるんですよ。
伊藤 えー、あたしはそんなこと、とてもできない。
谷川 でしょう? 昔は庭を見るなんてこと全然しなかったの。でも今はここで椅子に座って、何もしないで庭を見ていられるの。
伊藤 ……何してるんですか。
谷川 なんにもしてないんだってば(笑)。
「流し」の理想形としてはこれですね。
まあ、こうして日記を書いている時間は私にとっては「流しの時間」に近いですよ。意味ないし。
あらゆる外界に利も害ももたらさない行為に専修したいわけ。こう書くとだいぶ範囲が広いから、もう少し狭めると、能動的な利や害にならないということね。side effectまでは考慮しない。
いくつか例を出しましょう。
- 絵を描く→それ自体は外界に影響がない
- 絵を描いてアップロードする→外界に利することを意図した行為
- 絵を描いてアップロードしない→外界に利せる機会を損失しているので間接的に害になるが、それはside effectであり能動的な危害ではないのでneutralと扱う
- 絵を描かない→上記同様
- 公共物を破壊する→外界に害することを意図した行為
- 公共物を破壊する人を止めない→外界への害を止めていないので間接的な害の再生産だが、能動的でないのでneutralと扱う
neutralに分類されるのが「流し」に適した行為で、おおよそ「意味がない行為」と分類できるもの。
なぜそれが必要なのか? この件についていつかわかりやすいアナロジーを書いています。
「見返りはいらない」っていうのは、「お釣りはいらない」的なことではなく「ババ(ジョーカー)はいらない」の方に近い。needlessというよりharmfulなんです、見返りという存在そのものが。あってもなくてもいい、ではなく、「あってはならない」。見返りの出現率が0%のマップの方がはるかに安全。これが僅かでもエンカウントの可能性があると、その「可能性」自体がすでに「欠乏」「不足」「不安」の意識を確定させ、そのような現象を引き寄せる。
[[ゲームを面白くするのは物語だ]]
利するにしろ害するにしろ、一致が不確信な意図と結果(causes and consequences that can be incongruent and not as desired)が順繰りに伴う。利しようと思ったら害になったり、害しようと思ったら利になったり、あるいは程度が予測と違ったり、まあ色々ありますけども、こういった占い的性質そのものが人生を摩耗させるわけです。
占いの類は私は一切見ません。なぜ見ないかっていうのは、フランスの哲学者のアランが書いていて、要するにあれを読むと当たってようが当たっていまいが関係なく自分はなんらかの影響を受ける。それを受けたくないんですよ。根拠があろうがなかろうが、言われれば気になるでしょ。「今日は外出気をつけた方がいい」とか書いてあったら。それを呪いの言葉と言うんですよ。
養老孟司
まあこの占いダイスを振らなければ世界は進展しないので、社会というマクロな存在には振ってもらわないと困るんだけど、私という個人の範囲では振らない方が得になってきている。

よってトロッコのレバーは引かない。無責任の権化です。だが責任に死ぬことはない……いいじゃないか屈したって。超人だの自由の刑だのなんだの、勝手にやってくれ!俺には関係ないっ!どうせ被投された命だ。
ヴァイオレットエヴァーガーデンのOP、堀江晶太なんかい。天才じゃんじゃあ。名曲が多すぎます!
あとヴァイオレットエヴァーガーデン自体が予想以上に良いアニメすぎます。5話まで見たけどダメな要素がまったくない。鑑賞感としてはフリーレンの上位互換って感じ。
サピエンスの日常会話は毛づくろいの延長にすぎないことを忘れてはいけない。グライスの会話ルールは生物が持つCwC(理解力なき有能性)の逆行分析であり、こんなものを意識して会話しているサピエンス個体はいないし、むしろ意識すればするほどアスペになる。ムカデに足の動かす順番を意識させるな。
https://x.com/selfcomestomine/status/1124024910064566272
手厳しいがそのとおり。「ムカデに足の動かす順番を意識させるな」とは言いえて妙。
夢が面白すぎて夢の脚本家と話したい。どうやったらそんなことが思いつくんだ?
本日の夢の断片に異常性癖が出現していた。寝る前に紺あかねとかいう異常性癖の王の絵を見たせいだと思うが。
順を追ってお話しましょう。文章だけで伝えるのはけっこう難しい話です。
寒冷な場所で水を出すとこうなりますね。まず、男と少女が寒冷な地にいます。北極みたいな。少女が男の前に立っています。ええ、立っていました、跪いているのではありません。で、男はそれより少し高い位置から、たぶんバスとかの高い車の昇降口に立つイメージで少女を見下ろしている。
男が女の口めがけて放尿します。この尿がさっきの映像の凍った水の粒みたいにシャリシャリと出ていきます、女の口にその氷が溜まっていく。女はそれをシャクシャクと音を立てて咀嚼してごくりと呑み込んでいく。
わたしは本当に感動しました。誰がこんなことを思いつく?誰がこんなものを性癖と規定できる?この世のどこにそんなコンテンツが存在する?無い。無いんです。どこにもありはしないんです。だからこそ美しい。素晴らしい。
エロスの根源を説明しがたいが、確かなエロスがある。そんな性癖を……。直近で言うとFIVOCLOCKなんかも良い。やってることは割とオーソドックスなのだけど、女性側の表情が素晴らしいんですよね。
こんなんもう絵画だろ。
エロスを規定するのって女の表情だと思う。夢に出てきた少女もそんな顔をしていた。
現実の女もあんな顔が出来るのだろうか。でも……torture_tで煙草を舌に押し付けられていた女は、そんな顔をしていた気がするよ。
オーストリア少女監禁事件の記事を読んだ。
“He had this border between what was permitted by society and what his personal desires were, and he was unable to reconcile the two.”
涙不可避。やっぱそうだよなぁ、誘拐って。
誘拐ってドラマすぎると思う。『流浪の月』はさすがに現実と比較すると美化し過ぎかも知れんが、逆に現実が強制する「誘拐」の姿は明らかにアンタゴナイズされすぎている。現実の誘拐は『流浪の月』と社会規範が望む姿の中間にある。
At first Natascha was inundated with offers of help, albeit sometimes odd ones: “You could live with me and help with the housework. I’m offering board, wages and lodging. Although I’m married, I’m sure we’ll find an arrangement,” wrote one.
But the offers stopped, she says, when she refused to play the role of a victim – a weak girl in need of help – and instead tried to explain to interviewers the nuances of their relationship. That wasn’t the story people wanted to hear, so they dismissed her as suffering from Stockholm Syndrome – a label intended, she says, to deny her the ability to judge her own experiences.
https://www.theguardian.com/world/2010/sep/11/natascha-kampusch-interview
本当にやるせないし腹立たしい。「ストックホルム症候群」という言葉を使うことで、「彼女自身の判断力や経験の解釈」が否定されてしまう(=彼女は洗脳されているから、彼女の言うことは正しくない、と処理されてしまう)。
流浪の月すぎる。しかし流浪の月とは違う部分ももちろんあります。
Still, she adds, she hopes 3,096 Days will dispel the impression people have “that my mother was a very brutal person and that I had a better time of it in the dungeon.”
https://www.theguardian.com/world/2010/sep/11/natascha-kampusch-interview
要するに虐待してくる親の方がまだプリクロピルといるよりはマシだったということです。それに12歳からの6年間は18歳の脱走計画のことをずっと考えていたし、自分の意志で去ったわけです。
ただ、インタビューの全文を読んで確信したが、やはりこれをナラティブにしてはいけないと思う。ストックホルム症候群だとか、あるいは純愛だとか、そういった単一的なラベルに押し込んではいけない。それは読み手のmanipulationだ。彼女は地下牢での日々に名前をつけられない。おそらく自分自身でさえも。悲劇というラベルも「it was good for me」というラベルも拒絶したいでしょう。名前のつけられない深い感情だけを遺している。そして其れを忘れる気もない。
Did trying to get inside his head help her psychologically?
“I like to do it very much,” she replies. “In fact, I probably like to do it too much, which is why I’ve gone back to a therapist.”
https://www.theguardian.com/world/2010/sep/11/natascha-kampusch-interview
ナターシャがプリクロピルの死を知った時に流した涙。社会はまだその意味を知らない。いや、永劫知ることなど出来ないだろう。だから社会だけを見つめていても人生のことは何もわからないのです……。
ちなみにWikipediaの記事は”ナラティブ”すぎるので読まない方が良いです。
18歳になったナターシャは2006年8月23日、犯人から車の掃除を命じられ (8年半前の犯行当時に使われた白のバン)、犯人宅の庭に出る機会があった。犯人はナターシャの近くで監視していたものの、携帯電話にかかってきた電話の応対で犯人が目を離した隙にナターシャは逃走した。ナターシャが車に掃除機をかけていて、その音で電話の相手の声が聴こえづらかったため、犯人がナターシャと距離をとらなければならなかったことが幸いした。
このへんとか印象操作すぎる。原文読めばぜんぜん違うってわかるよ。



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