閑話休題
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ごみのような動画が完成し一段落ついた。動画を作成しながら絵の仕事もやっていたのでどっと疲れた。
しかしまだ休めない。アルバムを作らなければならない。秋頃には完成させるつもりだったが、微妙になってきた。2015年あたりからアルバムを出す出すといいながらいっこうに出せていない。この年で作れなければいよいよ以て死んだほうがいいだろう。産廃だろうがやり通さなければ一切無だ。
曲。
例のやつはまったくよいものが出来たと思わないし、つくっている途中からどう考えてもこれはだめだと思っていたが完成させることに意義があると思ったのでいちおう完成させたは完成させた。ここは我ながらえらいとおもう。だがもう二度と動画はつくりたくない。
絵の仕事について。
つくづくおもうが、絵が上手いことは仕事に関して殆ど関係ない。求められるのはクライアントの要望を正確に汲み取る力と此方の意思を明確に伝えられる対話術だ。
どれだけ上手い絵を描けようが、へんにプライドが高かったり自意識が暴れていたり、あるいは自己肯定感が異様に低いためひととの会話がままならないようであれば仕事など出来はしない。出来たとしても当人の精神的負担が大きすぎてふつうの労働していたほうがマシだろう。
けっきょく社会性のない人間には仕事としては芸術にも逃げ道などない。日雇い労働で安い飯を食うのだろう。
もっとも、仕事ができないのが「悪いこと」とは思わないが。僕が最も崇める絵描きはむしろそっち側に立脚している。
適応できないならせめて大仰に溺れ死ねばいい。死に僅かでも重みが乗ればぼくらの勝ちだ。
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