虚しい日々
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「sce2」とだけ書かれた通知が飛んできた時は、さすがにスマホを落としかけたね。
投稿時間は新しいけど、動画リストみるとどうも過去動画の再公開っぽい。けどこんな動画あったっけ?_?14シリーズは見たと思うけど、これ見た記憶ない。
もうSCE2でもないですけどね。ただの女の子でしょ。より言ってしまえばただのモスー氏でしょ。少女に代弁をさせるな。(いちばんはじめからそうでは?)
EDテーマのハミングはさすがにスタンディングオベーションですけどね。よくやってくれた!(コミックス化にあたり修正されたセリフ)
毎度毎度御多分に漏れずじゃみりんのボイスがついてるけど、一本あたりギャラどれくらいなんだろう。同人声優の中ではけっこう有名な方だと思うんですけどね。そんなに懐が暖かいのか?羨ましい限りだね、まったく……(聡並感)
あと、何回か言ってるけど、SCE2製作情報さん、マジで、ポップンの話をやめろ。いや、つぶやくなって言うんじゃないのよ。「SCE2製作情報」って名前のアカウントでそれをやるのをやめろって言ってんだよ!ぜんっっっっっっっっっっっっっっっっっぜんSCE2関係ないやん……ちゃんと「モスー」ってアカウント作ってそっちで日常ツイートしようぜぇ。新規さんとかSCE2の情報が見られるんだ!って思ってやってくるんだから。此処らへんのこう、なんていうんでしょう……誘目性への意識が低いアーティスト、だいぶ好感度が下がる。必須じゃないのよ?もちろん、自由なんですよ、アーティストがどんなスタイルで何をしようと。ただ、ここで「SCE2製作情報」という名前のついたアカウントでまったくSCE2の製作情報と関係のないツイートを繰り返すことを肯定する合理的な理由が、とくに見つかりません。SCE2_devのアカウント名自体を変えてしまうか、それか新規に「作者」そのものをあらわすアカウントを作るか、どっちかはすべきだと思う。それをしない理由は「めんどくさいから」以外にない。ほんの少しの手間を惜しむことによって、SCE2が好きな人がその情報を適切に得られる機会を阻害しているわけで、それを好しとしてしまっている、というロジックのピタゴラスイッチが好感度を下げていく。Twitterの絵師がpixivやTumblrへのリンクをプロフに貼っていないとか、モーメントまとめも作らずに飯やソシャゲのスクショで画像欄埋めてる奴とかもそう。作者本人がほんのちょっっっっと整理してやることで、どれだけの人が助かると思っているのか。
もちろん、再三言っているように別に助ける義務なんてないんだけど、助けない理由もまたないでしょ。「ケツの穴の小さい奴」という、常用慣用句にしては頭のおかしい表現があるけど、ケツの穴の大きさの問題だと思うねこれは。道端で困っているおばあちゃんをガン無視して通り過ぎても別に犯罪でもなんでもないけど、助けられるなら助けるに越したことはないでしょうよ!シンジくんがミサトさんに単独行動を責められた時に「もういいじゃないですか、勝ったんだから」と返したシーンがあったけど、あれと同じよ。「勝ったんだからもういいじゃないか」という発言は正しさを帯びているけど、だからといって命令違反の罪が消えるわけではない。「いじめられる側にも原因はある」というのは一理あるけど、だからといっていじめていい理由にはならない。同様にして、「消費者が我慢すればいい話」というのは一側面において正しいけど、だからといって創作者の怠慢が許されるわけではないのです。
とはいえ、こういうのに目くじら立てない人もいるらしい。ツイ絵師の画像欄問題は俺以外にも不満覚えている人は大勢いるっぽいんだけど、わが唯一の友坂上田村麻呂公(仮名)はまったく気にしないらしい。絵師は好きでやってるだけなんだから、それにわざわざ同じ絵を複数箇所にあげてタグ付けもしろなんていうのは畢竟おこがましいという考えらしい。彼は絵を描かない人なので、実際それがどれくらいの手間かっていうのが把握できてないだけかもしれんけど、だいぶhumbleというか、「ものづくりをする人」を上に考えた思想をしているんですね。創作者側からすれば、こういう人こそありがたいんだろうけど、俺は有産と無産で殆ど優劣をつけていないどころか無産の方が上くらいにまで考えているので、そこらへんで食い違うのかもしれない。本当か?いかんせん創作者の地位が今より数百倍低いインターネット黎明期で育ったんで、その価値観が染み付いているのかもなあ。ものづくりする人が偉いって、とうてい思えない。たまに俺も「良い曲を作る」という理由で尊敬されることがあるんだけど、どっちかというと「俺の作った曲を”良い”と思った、その電波の波長の一致」が奇跡だと思うんですね。だから、もし何か畏れ敬うべきものがあるのだとすれば、それはその奇跡にあると思う。俺は絵を描いたり曲を作ったりするけど、何が生まれてくるかなんて到底俺の手に負えるものじゃなくて、神の御業とさえ思う。だって意識的に思い描いたとおりの作品を生み出し続けられるのなら、アーティストの作品に当たり外れなんて生まれないじゃないですか。米津玄師はすべての曲がlemonくらい再生されてないとおかしいでしょ。サムライエイトは大ウケしないとおかしいでしょ。でも現実はそうじゃない。作品はどこまで言っても人に見られて成立するんだから、外的要因がある以上は「良い作品」が生まれるのなんてある程度運なんですね。そう考えると、「良い作品」って何によって生み出されるのかっていったら、作者だけじゃなくて「消費者」の力でもあるわけですよ。だから作者だけが一様に偉いだとかすごいっていうのは傲慢だと思う。作者が作品の親というのなら、消費者(無産層)はそれを育てる食餌なわけで。趣味であれなんであれ、ある程度の信奉者がついた創作者は、今自分をその地に立たせている外因子たちに責任を持つべき。これは独り言だがな……ゾ
まあ、難しいところで、「無産だって偉い」みたいなことを無産の人が言ってしまうと、ちょっと成立しないかな~みたいなところもあるわけですね。俺はここらへんのことをすべて「創作者」の立場から言えるのが我ながら狡いと思う。実際俺は自身が創作する立場であることをだいぶ盾にしている所がある。盾というか、実際には無産層の地位が落ちて創作者の地位が上がったほうが俺としては得をするんですけど、そんな結末納得できない(エ)ってことですよ。無職と労働者、犯罪者と善良な市民、視覚障害者と晴眼者みたいなもの。労働者が無職を見捨てたら、いつか絶対に社会全体が手痛いしっぺ返しを受ける。(太宰メソッドが急所になる発言)というか、もう受けかけている。「無敵の人」なんてものが現れ始めたのはその兆候というほかない。
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