芸術の争い
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芸術で争いをするのは愚かで無意味である
なぜなら、例えばサッカーやバスケならば「相手のゴールにボールを入れる」という
他人から見ても明確な勝利基準があるが、芸術の場合そうはいかない
すべて受け取り側の感性の問題、消費側の胸三寸である
音楽理論がこうだ、デッサンがこうだと言って「技術力」にケチをつけるのは簡単だろう
しかし芸術とは技術力ではなく魅力が左右する分野だ
ある人はこれは素晴らしい作品だということもあれば、
ある人にとってそれは見るに値しない作品だと思うこともある
もし芸術で競い合うなら、その審判は誰が決めるのか
その審判を公正に下すにふさわしい人をどう決めるのか
そんな人間がいるはずがないのである
芸術はスポーツやゲームなどの明確なルールが決められた分野ではない
もっと言えば、ある時代では誰からもまるで評価されなかったような作品も、
数十年後に大きな人気を博すことだってある 現に有名な芸術家で死後に評価を受けたものは少なくない
芸術には、理屈で測れない、もっと胸の奥深くを刺すことのできる魅力があるのだ
もし芸術を使った争いが行われたら、その時点でそれは芸術を名乗る資格を失う
しかし、芸術が有名になるためには大衆の目に止まる場所に行かなければならない
そのためには争いは避けられないのではないか?と僕もずっと思っていたが、
この世でただひとり一切の争いをしないまま芸術を成し遂げている人物を見てしまったので
僕は今後の生をすべて「争いをしない芸術」の達成につぎ込むことになるだろう
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