罪人
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「自分は罪深い人間だ」と思っている人はどれほどいるだろうか
現代社会だとそう少なくもないかもしれない 誰しも一度くらいは大きな失敗をしたことがあるだろう
それも他人に迷惑をかけるような飛び切りのものをだ 時折思い出しては懺悔に囚われるかもしれない
僕もそういう人間だったのだが、最近「罪を忘れて生きること」が大切なのでは、と思うようにもなった
どうもインターネットを見ていると、罪人を必要以上に追い込んで最終的に自殺という名の他殺まで持っていってパレードをあげるような輩が多いのだが、僕はちょっと理解に苦しむ
刑務所に対しての解釈もそうなのだが、皆は罪人に「更生」とか「改心」して欲しいのではなく、
犯した罪の責任を償って欲しい、更生などおこがましい、被害者のことを考えろ、死んで詫びろといった気持ちのほうが強いらしい
それは正義などではなく、罪人をただのストレスのはけ口に使っているだけだ
そして自らを罪人だと思ってる人々は、おそらくもう手痛い目は嫌というほど見てきただろう
ならば罪など抱えて生きる必要はない そこらへんに捨て去ってしまえばいい
最近、自らの罪に溺れて死ぬ人があまりに多いのでいたたまれなくなる そして溺れてる人を蹴り落として笑うような真似をする人々に嫌気が差す
心配しなくても、本物の罪人はあなたが手を下すまでもなくいつか裁かれる
今の世、そういう役割を担ってる人たちがちゃんといるのだから
逆にそういう立場以外の人間は、相手がどれほどの罪人であろうとそいつを攻撃していい理由にはならない
僕は罪を忘れて生きていたい
誰に何と言われようと、どれほどの罪人だろうと、自ら死に急ぐ理由などひとつもない
実は僕は昔、小学校の頃なのだが、いじめを受けて人生に結構な打撃を受けたことがあった
言い訳がましいが、ああいうことがなければ僕はもっとマシな人生を歩んでいただろうと思う
そしていじめっ子共は今、なんの罪もないような顔で笑って人生を楽しんでいる
それに怒りの沸かないような聖人がいるだろうか?僕はそのことを思うと怒りとも落胆とも似つかない感情に苛まれる
しかし、それでも僕は奴らに死んで欲しいなんて思わないし、今は不幸になって欲しいとも思わない
人を呪っても何も解決しないのだ 人というのは自分も他人も含めてである
彼らが今、罪を忘れて生きていることは正しいことだ
罪人の償いは危険因子としての社会からの消滅ではなく、更生だと僕は思う
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