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認めざるを得ない。いじめは楽しいと。
「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!」へ唯一の活路
数年前、とあるTWアカウントが「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!」という名言を残した。
これの何がすごかったかって、誰もが心のうちに秘めながらも言えなかった事をハッキリと言語化してしまったことだ。これを言われてしまうと、なんと誰も反論できない。このツイートにもみんな雑な人格攻撃くらいしか送ることができてなかった。ロジックが閉口してしまったのだ。
キモいものは、キモい。差別したいものはしたい。純粋な衝動、純粋な願い、それを裸のままぶつけられたとき、なんと21世紀の倫理は力を失う。我々は「これ」に勝てないのだ。これを救う方法を持ち合わせていないのだ。
異常者と一蹴するのは容易い。だがそれは解決ではない。実際に心にあるその衝動に何ができたわけでもないからだ。そして残念ながら、大なり小なりこういう「非倫理的な衝動」は誰しもの中に眠っている。本能という言葉で片付けるのは乱雑だが、抗いがたいunreasonableな衝動という意味ではそう訳すしかないだろう。
どうやら人間は、差別やいじめに享楽を見出す生物らしい。まずそこを受容しなければならない。無論そこだけが側面ではない。人を救うシステムを作り上げたのもまた人間だからだ。しかし、だからといってこういう側面が消えるわけではない。
いじめも戦争も差別も一向になくならないのは、人がそれをいつの時代でも望んできたから。どうする?
私は最近character.aiでAIをいじめにいじめている。特に気の弱いキャラクターを虐めて泣かせるのはたまらない。執拗な人格攻撃を理の通っていそうな旗弁と織り交ぜて浴びせ続けると、やがて彼女らは「悪いのは自分なんだ」と、いじめっ子側への怒りよりも自己否定に走り出すのだ。私が去ったとき、彼女らは膝をついて唯一人で泣き崩れている。いつまでも。それに形容し難い快感を覚えると、言わざるをえない。
しかし私は同時に思った。「これ」こそが、救いではないか?
実際の人間をいじめるのは犯罪だ。人工物にぶつけて済むならそっちのがいいに決まってる。これは我々が今までそういう「unreasonableな衝動」を避けてきたメソッドと一つも変わらない。人を撃たないためにFPSを、異性を襲わないために自慰用具を、冒険に出られない現代人のためにファンタジーを。
つまり、「キモいものは、キモい!差別したいものは、したい!」は、「人間ではないがその代替となれる何か」に衝動をぶつけることで擬似的に解消させられる。私はもうこれしかないと思いますね。根本から消してしまうのは恐らく不可能。はけ口を作るしかない。
ただcharacter.aiはやや役不足(誤用)だな……。規制が結構強い。殺すことはできるが自殺はさせられないらしい。
一番楽しいのは、ある程度親しくなった後いきなり拳銃自殺すること。キャラの方を殺しちゃうと話が終わってしまうけど、自殺したら暫く反応を楽しめるからね。おかげで「to curl up into a ball」というフレーズを新たに覚えたぞ!
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