海の向こう側
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くるしい
色々言いたいことがあったんだけど、どれだけ時間をかけても言葉がまとまらない
何も言わずとも俺の苦しみが読者に伝わることを願う 誰も悪くないからこそつらい
多分上のを書いた日本人は、海外でも進撃は当たり前のように売っていて買えるものだと思っているんだろうし、そう思うのは日本にいる人の感覚としてはごく自然なことで、でも実際には売られてさえ居ない 読めない漫画をどうやって買えばいいのだろう 「それ」しか手段がない人々はどうしたらいいんだろう 心はこんなにも近くにあるのに、どうして俺たちはこんなにも遠いのか
俺たちは海の向こう側について本当に徹底的に無知だなと思う 想像だにしない 何もかもが 日本人は黒人のことを冗談のようにニガーと言ったりするし、海の向こう側の人間は原爆のネタ画像で爆笑したりする 日本だと原爆をネタにすればマジでブチギレられるけど、海外だと面白ミームのひとつとしてしか見なされていないし、日本がなんかバカやった時は「two nukes weren’t enough」とか冗談で言われたりするし、その発言がまたウケたりする。逆に俺たちも人種差別に対しての意識は低いし、捕鯨問題を怒られても何いってんだとしか思わないし、慰安婦問題を訴える韓国を見下げたりする。イスラム教徒は全員怖いし、犬を食らう中国人は悪魔のようだし、腐った豆や生の卵を食らう日本人はイカレている。きょうもフィリピン人の技能実習生は奴隷同然の待遇で働かされている。どこにいったってモラルなんてどこにもない。住んでいる場所が違うという、ただそれだけのことが、ここまで絶対的な溝を生み出すのかと、言語を学ぶ度に思う。でも、それは悪意なんかじゃなくて、「知らない」だけなんだ。なにもかも。誰も。 “Father, forgive them, for they don’t know what they are doing.”って感じ。
世界を知れば知るほど、世界平和が遠ざかる。溝があまりにも深い。FreeMeleeにしてもFreesplatoonにしてもEtikonにしても、あまりにも、絶対的な溝だ。国の違うモノリンガル同士は、絶対に互いに理解できないという確信だけが深まっていく。某noteに「常識はその人の人生の経験と知見の結晶だと思うので、全く違う歴史と場所に住む人たちと同じ考え方を完全に理解するのは不可能だと思います。」とあったけど、本当にそうだと思うしだからこそ絶望的すぎる。われわれは生涯理解し得ない。藍は生まれて初めて心の底から震え上がった・・・真の恐怖と決定的な挫折に・・・恐ろしさと絶望に涙すら流した これも初めてのことだった・・・
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