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夢、忘れた。
お題箱の接続が切れたままアカウントを消してしまったので見れなくなってしまった。
ある意味ではこれで良かったかも知れない。地獄との接続は遮断されていなくては。
生活。
ペルソナ4Gを買った。
前々からやりたいと思っていたが機会がなかったのをSteamで出たのに乗じてゲット。1980円は相当安い気がするぞ。
はじめムービーが滅茶苦茶カクカクしていてゲームにならなかったので、小一時間ほど設定と悪戦苦闘していた。
レンダリングはあまり関係なくて、解像度が大きいとラグるようだ。と思い、640480にしてみると、いくらなんでも画面が小さすぎる。ダメ元でその状態からフルスクリーンにしてみると、640480設定のはずなのになんか勝手に1920*1080になった上に滅茶苦茶スムーズに動き出したので内部設定がバグって勝った感がある。ともあれよかったです(小学生)
まだ30分くらいしかやってないけど、花澤香菜って敵なの?OPの味方サイドに姿がなかった気がする。
音楽。
一番おっかねぇの見つけたわ。AlbeGian、この人強すぎる。これで再生数24はちょっと群衆が狂い咲いているとしか思えない。(花見か?)他の曲も最高でかなり久々にビビっと来た。mamomoっぽいサウンドを良い意味で荒削りにした感じがたまらん。
どうでもいいが、最近昔の曲ばかり聴いている。「昔」っていうのは'00年代とかいうチャチなレベルじゃなくて、矢沢永吉の止まらないHa〜Ha(1989)とかミニー・リパートンのLovin' You(1971)とか、Bye Bye Blues(1926)とかがマジで世界一いい曲に思えるくらい。特にLovin' Youは涙が出るくらい良い曲。皆さんも聴いて欲しい。
そういえば今日眼鏡屋に行ったらYOASOBIの 「夜に駆ける」とかラストアイドルの「好きで好きでしょうがない」とかゴリゴリの近年ポップスがかかっていてewってなってしまった。もうアレルギーですよねここまでくると。
思考。
大好きな曲を作る人がいた。再生数こそ伸びないが、ほんとうにうつくしい曲を作る人。自分だけの宝物のような思いだった。最近は殆ど曲を作っていないが、それでも彼が日々を生きていることがひとつの救いだった。
そんな人が、「こと日本においては評価されたものに価値があるので。評価されていない無名なものは価値がありません。」と呟いた時の俺の気持ちがわかるか?
その人は12年前、「モノを見るのではなく付加した名前で見られるのは本当に心が痛い」とも言っていた。12年の月日が彼をどう変えたのか。
彼が見ていた景色とは何だったのだろう。いつもそうだ。好きな人と同じ景色を見ようと努力するたびに辿り着くのは途方も無い哀しみの海辺だけ。
はじめてその潮風に触れたのは、もう11年以上前の話になる。「うごくメモ帳」でのことだった。
大好きな絵を描く人がいた。宝石のような瞳を描く人で、あんまりにも素敵で毎日その人のページを訪れていた。こんなにもいい絵が描けるのに、なぜこんなにも評価されていないのかと憤ったものだ。
しかしある時を境に、その人は爆発的な評価を得ていった。私がはじめて出逢った時とは比べ物にならないほど人気になった。それ自体は喜ばしいことだった。問題は、その人の絵が明らかに劣化していっていることだった。
宝石のような瞳は小さな泥炭の塊に変わり、絵柄は70年代の少女漫画の顔をプレス機で潰したような醜いものになった。これは私が焦がれた人の絵じゃない。
私は悲しかった。なぜみんな「あの絵」には誰も星を投げずに、「これ」に食いつくんだ、と憤慨した。
理由はすぐに分かった、その人が今までよりも旬のコンテンツを描くようになったからだ。絵の技量そのものなど大衆はさして気に留めていない事がわかった。承認されることの甘美な毒蜜が彼の感性を壊したのだ。
しかし、その後すぐに気づいた何よりも悲しいことは、俺のこの感情に行き場など何処にもないということだった。
本人に告げられるはずがない。告げて何になる?昔のあなたの方が好きだったなんて言って、誰が幸福になる?それで「あの絵」が戻ってくる訳でもない。彼の幸せを壊したいわけじゃない。壊したいわけじゃないんです。誰かを不幸にしたいわけじゃない。その行き場のない悲しみの渦に初めて飲み込まれた時、あんまりにもどうしようもなくて、こんなことが世界にあるということを知らなくて、私は恐ろしくって悲しくってただ泣いた。
おわかりの通り、「こういう状況」に陥った信奉者は、絶対に救われないのだ。永罰だ。愛しているのに報われない。この病にかかった人間が取り得る対処法は「忘れること」しかないが、その間にもその人はどんどん上がっていく。耳をふさごうが芽を瞑ろうが否応なく「輝かしきアーティスト」は眼前に現れ続ける。でももう俺が焦がれた人はどこにもいない。われわれは一生苦しみ続ける。
その日から、俺の中に二つの呪いが棲み着いた。ひとつは大衆嫌悪。衆愚があの人の感性を壊し、麻痺させ、挫傷させた。
もう一つは、「変化」への嫌悪。もし今後、俺の作品が誰かに愛されるようになったとしても、俺だけは絶対に変わるまい。
「作者」がそれを意識して変わらないようにし続けることだけが、昔の俺のような犠牲者を出さない唯一の術なのだ。あの、どうあがいても救われない、悲しい子供を出さないためのただひとつの方法なのだ。
そんな大昔の呪いを引きずり歩いてこんな時代まで来てしまいました。痛みは強くなるばかり。
ずっとオリジナルを描いていた大好きな絵描きが、Vの絵でバズって以降一生それしか描かなくなった時の俺の気持ちがわかるか?
芋臭いが温かいカントリーソングを唄っていた人が、斜に構えた空っぽのJ-POPしか書かなくなったときの気持ちは?
痛みに直面した時に音楽は産声を上げる。墓前はそうやって生まれた。その根底で煮え滾る燃料は「純粋な怒り」だ。創作者に怒ってるんじゃない。もっと根本的で普遍的な、「民衆」とか「社会」なんて言葉じゃ足りないくらい根本の歯車への憎悪。死ぬ時はミッサンデイのように、ドラカリスと唱えたい。
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