意味無爱丽丝
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悲しみが攻めてきています。おれってどうしたらいいですか?
音楽で成しても、絵が上達しても、何ヶ国語を読めるようになっても、何をやっても同じだという機運がある。何も変わらない。何も起こらない。見える景色が変わらない。変わらないんですよ。助けてくれ。身を掬うのは信仰のみと知っているが、それももうふらついている。俺は信じることが下手なのかもしれない。孤独すぎる。彼はどうやって切り抜けたのだろう。神との対話しかない。
谷川俊太郎の詩で好きなのがあったのだが、なんと俺としたことが保管するのを忘れてしまっている。誰か知りませんか?俺もうろ覚えなんだけど、「背中」ってワードがキーワードみたいに出てきて、絶望の中でも人々は(背中合わせで)支え合うことができるはずだ、みたいなテーマの詩だったはず。「温めることができる」だったかもしれない。その絶望9希望1みたいな詩の構成がすごく好きだった。
まーじできついっす。これ生きてる意味あります?
いや、意味がないのは明白なんだけど、そんなもん全生物がそうで、そういうことじゃないんだよなぁ。俺のまずかったのは、技術力云々以前に単純にガソリンの量が足りていないこと。どうしようもない。特に昔と比較してしまう。昔の俺は技術力は今の1/3くらいだけど、ガソリンの量は今の50倍くらいあった。だから楽しかったし満足のいく範囲で成功していた。燃料が足りない。俺を燃やすものがない。有名になんてなりたくないし、どんな音楽も世界の栄養になりえない。どんな絵も自分を救わない。俺は物語を綴れない。どうしようもない。ごまかしがききません。袋小路すぎる。今助かりそうなルートが男娼か殉教くらいしかない。いまどき宗教戦争なんて起きないし、なんのために殉死すればいいんだ。物怪さんと出会わなければよかった。シンプルな答えとして、彼を信仰しなければよかったと思う。彼の絵のせいで人生めちゃくちゃにされています。物言わぬ死神。物言わぬまま徐々に尾羽打ち枯らしていく死神なんて洒落にもならない。今も物怪さんに呪われています。裁きは神に任せます。俺は本当にこの世を「常に誠実であった側が救われる(≠生き残る)」場所だと思っているので、いずれわかること。今のところとうていどちらも救われているようには見えない。本当を言うと、物怪さんが正しいと神に証明して欲しい。あらゆるアンチは究極的には「信じたい」という気持ちから生まれているのだと思う。そのために疑わずにはいられない、盲目であることを辞めてしまったが故に見えてきた綻びをその手で消し去って欲しいだけなんですみんな。七海千秋ちゃんも言ってたでしょ。
ああ苦しい、ああ苦しい、たすけて~。金より名誉より女より何よりガソリンが必要。応援はガソリンにならないが批判はガソリンを削ぐという絶望的な特性のせいで能動的に見つけるほかなくなっています。力が欲しい。ただ向き合って紙とペンをとって数時間手を動かせる力さえあればいいだけなのに。”吊る”か……流石に。死んだら負け知るか黙れ今更勝つ気などあるかよボケモードになってきたな。「想像力が足りないよ」がマジになってきている。それは私たちのような人間にとって最も必要なものです。想像力が足りません。想像力が。助けてくれ。何も浮かばない。何も出来ない。はぁ~い、メンヘララでぇ~す(オワオワリのリズムで)どうせ日本人なんて全員メンヘラだしこんなもんだよ。問題は心の病みを別のエネルギーに転換できるかどうかにかかっている。できればKのような鬼才アーティスト、できなければロトと石油と千代大海の狭間で溺れ死ぬのみ。
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