後が無いからここで戦うだけなの
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リドルメモリとジョーカーメモリを交互に抜き差しすることくらいしかやることがない。これ意味?
ゲ制が割と進んでいる(当社比)。やはりノベルゲーに手を出すとノベルゲー制作が進む。
面白いのかどうかはよくわからない。コメディとしては面白いと思う。
万物「意味がないから」の一言で破壊されるのどうにかしたいと思ってたけど、「意味がないもの」に全力を注ぐ人の原動力って「愛」しかないよねって気付いてから瞼の裏まで世界が塗り替えられたような錯覚に陥りました(はい、それは錯覚です)。愛は絶対正義なのでそのカードがタップされた時点で特殊勝利が発動する。故に意味なしアリスこそが本当の意味ありアリスだったということです。俊ちゃんが無意味を愛せといったのはそういうことですね。愛による特殊勝利を発動させろということ。
逆に「意味の世界」でも愛を生み出せるのならそれでもいいんだろうけど、不思議なことに愛というものはナンセンスが心地良い性質にあるのでしょう。思えば愛はいつも無意味へ寄り添っていた。ポートフォリオや株式市場に愛が宿ったことが一度だってあるだろうか?
芸術。
芸術は本来愛とともにあったのだと思う。否、今でもそうあるはず。ではインターネットで散見されるself-proclaimed artたちについては?どうして彼らに愛を感じないのか?そうです、ここにきて芸術と商業の識別法が歴然とした。「愛」を感じるかどうか。それだけです。愛のexistenceを感じるか。
そうして、ここにきて私の評価軸も明白になったわけです、私が常々主張していた我がすぐれた「アンテナ」の受信機構にはおそらくこれが組み込まれていた。私は「愛」の存在を鋭敏に察知し、そういう作品に惹かれていた。そうすればおおよそのことに説明がつく。
愛だよ愛!ラブアンドピース!じゃあ俺ギャラ貰って帰るから。また会おうなバイバイキンパオーン(詠唱)。いやこれよくないね(A)。
いや、どうかな……たとえば私はドビュッシーの作品が好きだが、彼は人格破綻者であった。また彼は自身のいくつかの作品、たとえば夢想などを「この手の作品は全然好きではない」「やっつけ仕事で書いた大したことのない粗悪品」と貶している。
私が『夢想』に惹かれるのであれば、この仮説は崩れ去りそうなものだ。しかし……ドビュッシーが本当に愛を抱いていなかったなどと誰が確実に言えようか?言葉は希薄。愛は廉直。形に顕れている方を本物としよう。また彼に関しては深く掘ればまたとても「人間らしい」人間性が見えてこよう。私は彼にじゅうぶんな愛を視る。
「無意味」へのカウンターとしての「愛」。これはちょっと、研究する価値があるアイデアです。今後の課題になろう。
兎にも角にも「無意味」というのが我らの敵だ。正確には、無意味そのものではなく無意味をかたどった剣ですが。こいつを防げる矛盾の盾側が当座存在しない。無意味に貫かれればすべてが死ぬ。愛はそれを防ぐアイギス足るか?
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