夏じゃん
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世の中熱くなるものっていっぱいあるけど、一番熱くなるのはイナズマイレブンのOPですね。間違いないね。OPメドレーとかよく上がってるけど、ノスタルジーの暴力って感じ。 普通にケムシがアーティストとして強いっていうのも大きいけど、映像がやっぱり良いんだこれが。一つ残らずワクワクする。個人的には初代・3・クロノストーンあたりが特にお気に入り。3は総当たりなのを良いことにイナズマジャパンが普通にマジで負けるっていう展開があったのが面白かった。イグニッションまでやったのにね。あとロココが一二を争うくらいお気に入り。クロノストーンはシナリオ全体の完成度が本当に高くて、ゲームだけ見れば一番おもしろい。BGMもなんか異様に良いしね、千宮路の力は実際は1の曲だけどなんとなくベータの専売特許みたいになってんのも面白い。キャラとしてはザナークが一番好きでした、よく描いてたのはSARUだけど。知ってる人は知ってると思うけど、俺マジで”イナズマ魂”なんで……我等稲妻永久超絶不滅なんで。イナズマ魂と火焔魂と漆黒の意思を掛け持つ男。後EDも普通にすき。なんなら一部はOPより好き。青春おでんは言わずもがなとして(ギター弾いてんのが豪炎寺じゃなくてサガミネーターっていう豆知識すき)、流星ボーイとか本気ボンバーとか好き。本気ボンバーは夏に聴くとノスタルジーに殺される。泣くわこんなん。
今見たら11Kもグッドついてるんすね。ちょっと意外。大衆ウケするタイプの曲では無いと思ってたけど。みんな意外と”理解”ってるのか……ガッツリ違法動画っすけど。まぁ六兆五千三百十二万四千七百十回言ってるけどストリーミングは合法なんで。
話ガラッと変えるけど、海の幽霊は意外と良い。米津玄師の最近の曲の中ではダントツに良い。色々気に食わないけど……よくも悪くも言動がふらつきすぎ。(辞書に載ってる通り『言動』とは『言葉と、行動』という意味なんですが、なんとなく『発言したこと』とだけしかみんなに捉えられない気がする)
それで、今回はちょっと歌詞の組み立て方について理論的に考えたい。海の幽霊に「潮風の匂い/染み付いた椅子がひとつ」という歌詞がありますが、流れ込んでくる音節的には「しお/かぜのに/おい」なんですよね。俺は一番最初この曲を聴いた時に「しお」を聴き取れなくて、「血は」に聴こえたんですよ。最終的にその初視聴では「血は/風の庭」と補完されたんですけど、これを、どう考えるか。
こっからは完全に主観の話ですけど、言葉ごとのエネルギーを見ていくと「血は/」で冒頭始まるのはかなり強い。「しお/」よりも相当強い訳ですよ。「潮風」なら充分強いんだけど、「しお」で一旦区切られるから変換が「血は」の速度に優れない。「血は風の」「潮風の」の部分だけ見れば、俺は「血は風の」の方に軍配が上がると思う。インパクトがあるし、荘厳だけど少し不気味なジブリ地味た冒頭の曲調にもマッチしている。ただ、問題は最後の目的語で、「風の」も「潮風の」も所有格になるんだけど「潮風の」の場合「風」に対して修飾すればいいのに対して「血は風の」だと「血」に対しての修飾である必要があるんですよね。しかもすでに「風の~」で限定されてるから繋ぎがかなり難しい。結局俺の場合は「血は風の庭」と我が脳のニューロンどもが補完した(=そう聴こえた)わけだけど、「風の庭」ってなんやねん?それが血とどう関わるねん?ってなるでしょ。なんとなく光景のイメージはつくかもしれないけど、意味が通りにくい。「潮風の匂い」ならきちんと通るし、またそれは「匂いが染み付いた椅子」という次の節にも繋げられる。「血は風の庭」なら次の「染み付いた椅子がひとつ」が通らない。なんとなく血が染み付いている様子が浮かぶけど、やはり意味がわからない。なぜ接続性がこんなに悪いのかというと、「潮風の○○」の場合それは全部あわせてひとつの「名詞」になれるんですけど、「血は風の○○」の場合、「は」の接続詞があるので名詞でなくてひとつのパラグラフなんですよね。後で補足するけど、これが本当に弱い。名詞で区切ると接続性が良いのに対して、短い一文になってしまうとマジで雑魚になる。(あなたこそが地獄の~みたいな、長い一文なら効果的になることもある)実は最近の星野源とかはここらへん下手で、よくこんな感じできれいな接続に失敗している。
つまり、「血/風/庭」と「潮風/匂い」を関連性なしに一語一語を得点付けるなら多分前者の方が高い(ここは人によって違うと思うけど、僕の中で『匂い』の言葉力が相当低いので)んだけど、Intelligibilityを考慮すると圧倒的に「潮風の匂い」の方が良いわけ。ただ、さらに「耳障りの良さ」というのもあって、とにかくあの音程で「血は/」と「庭」が入るのはContentmentが高いので「歌詞カードを見ずに、はじめて聴く」状態では場合によっては「前者のように歌った方が満足度が高くなる」のかも知れない。あと「潮風」をあの音節に入れるとなかなか聴き取りにくいんですよね。彼の歌い方のクセとエフェクトも合わさって、音だけ見るとどう考えても「chi-wa」で(特に「wa」はどう頑張っても「o」には聴こえない)、次の「風」と組み合わせて人間の脳のオートコレクトによって「潮風」が生成されるレベルで。あそこの映像で骨が出てきたのも強いのかも知れない。なんとなく不吉な言葉が浮かぶ。基本的に歌詞って脳のオートコレクトありきで、Flamingoの時とかも難しい言葉をたくさん使ったせいで中高生には言葉が聴き取れずYouTubeのコメント欄で「歌詞です!!!!」っつって「氷雨」を「小雨」とか書いてたり「申し入り」が何かマジでよくわからん言葉になってたりしたでしょ。LOSERの「イアンもカートも昔の人よ/」も「イアンとカートという一世を風靡したアーティストがいて、彼らは自殺した」という情報を知らないと変換しにくい。だからそれを知らない人は「やんも変わるも昔の人よ」とかいうマジで意味わからん歌詞を脳のニューロンが生成せざるを得なくなる。Pathetic…やんも変わるもってなんですか???マジで。LOSERの歌詞検索すると大体こう書いてあるよね。底抜けのバカか?
何が言いたいかというと、もし俺が「潮風の匂い」と「血は風の庭」というふたつのフレーズが浮かんでいて、あそこにどちらかをはめるとなったら、「血は風の庭」を捨てるのにちょっと苦労するかもしれないということ。「全体」を考えれば潮風の匂い一択なんですけど、「血」の意味の強さと語感の良さを捨てたくなくて色々やるかもしれん。多分「血は風を伝い/」とか誤魔化そうとするんだけど、これは典型的な泥沼というかダメな例で、「潮風の匂い」が独立していてかつ次のフレーズと繋げられるのに対して、「血は風を伝い」は「完結系非独立」なんですよね。完結系非独立で音節が切れる歌詞は本当に弱いのでやめたほうが良い。完結系非独立っていうのは、俺が今勝手に考えた言葉なんですけど、「血は風を伝う」で完結する(SVOが揃っている)文を「伝い」にして無理矢理非独立にしているので、もうそれ以上付け足すことがないんですよね。さらにいえば潮風の匂いと違って「血が風を伝う」状況を作るには「誰かが血を吹き出して、それが風に乗っていく」という舞台設定が必要なので、冒頭でやるには説明が足りなすぎる。しかも「庭」を捨ててしまったせいで言葉としての力も弱体化している。此処らへんまでくるとおしまい。弱くなる一方なので俺は断腸の思いで血と庭を捨てるだろう。歌詞を考えるって、ずっとこんな袋小路みたいな考えをし続ける事なんです。だから正直俺は歌詞を書く段が一番嫌い。宇多田ヒカルもそう言っていた。嫌いっていうか荷が重いというか、一番やりがいのあるパートではあるんですけどね。やりがいっていうのも何か不適切だなぁ、いい言葉が浮かばん。必要悪みたいな……(??)
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