価値観の押し付け
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人は色々な価値観を持っている 当然、その価値観は人それぞれでバラバラだ
そうなると、人と人が会話していれば口論というのはいつかどこかで必ず起きる
そして最近口論でよく使われる言葉に「お前の価値観を押し付けるな!」というものがある
この言葉は、あえてチープな言い方をするなら非常に「強力」だ
なぜなら、そもそも人と人の会話自体価値観の押し付け合い以外の何物でもないからだ
つまりこれは「話しかけるな!」とほぼ同意義である
若しくは、会話ではなく一方通行に相手の話を聞いてただ肯定する機械と化すかだ
また、もっと屁理屈っぽく言うのなら「お前の価値観を押し付けるな!」という言葉自体が
価値観の押し付けであるとも言えるので、発言者は自己矛盾に苛まれることになる
対して頭がよくなくても気づくと思うが、これは「バカって言ったほうがバカだ!」の無限ループと対してレベルが変わらない
この言葉が飛び出してきた時点で、まともな会話を続行するのは難しいだろう
ではこんな言葉を吐かせた方が悪いのだろうか?それともこんな下らない言葉を吐いた方が悪いのだろうか?
僕にはその答えはわからない しかし、僕は「人の価値観」というものに対してこう思っている
人は、人と意思を交わそうとするならばある程度相手の気持ちを無視して押し付けるしかない、と
こう書くと随分聞こえが悪いが、要するに普段から我々が何の気なしに行っていることである
お互いの価値観を極限まで考慮すると、話しかけることはおろか、視界に入れることすらもままならなくなる
そしてもしあなたが「相手に価値観を押し付けられている」と感じるのなら、それは相手が「自分のことを理解したがっている」ということだ
もしこの言葉を使いたくなるような口論になったら、少し落ち着いて受け流せるといいかもしれない
そしてあなたが「価値観を押し付ける」ことに対して極度の恐怖心を抱いているなら構うことはない
価値観は押し付け合うべきである。と、僕は考えている
以前僕は「人の考え方に正解などなく、それを押し付けることは許されない」というような話をした
『自分と違う考え方の人間がいるからといってそれを「間違っている」と呼ぶ権利も道理もどこにもない』とも言った
しかし、権利も道理も無視して押しつけたいと思うならば押し付けるべきだ
完全に受け売りだが、譲れないものを譲ってしまい、自分の生活を暮らしにくくする必要なんてない
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